本紙7、8月号で、海外で活躍した岩槻出身の画家「田中保」の回顧展を、島田祥博さんの寄稿で取りあげました。(開催期間は10月2日(日)迄)さいたま市内はもとより地元岩槻でも知名度の低かった画家の田中保に光を当て、回顧展を企画担当した学芸員の中の責任者である佐伯綾希さんに興味を持ち、インタビューをお願いして埼玉県立近代美術館を訪ねた。当美術館の学芸員となって3年目の佐伯さん、以前は20世紀の前衛的な芸術動向であるイタリア未来派の研究をしていた。今回の企画担当になったのは偶然だが、若き日の田中保も未来派に関心を抱いていたという。埼玉県立近代美術館では早くから田中保に注目して作品や資料を収集しており、これまでも田中保を中心とした大きな企画展を2回開催している(1988年、1997年)3回目となる今回は何と25年ぶりになる。今回の回顧展は、コロナ禍の影響もあり準備期間や予算の制約がある中で開催した。展示作品は当館所蔵の他に埼玉県内や近県に限定し、作品を所蔵する関係者や海外の研究者の協力を得た。岩槻市時代に購入して岩槻区役所に展示している、立派な額に収まった「月光」(出品番号87)も展示され、照明の当て方なのか作品の輝きが増していた。佐伯さんはこの美術館に来るまでは田中保の名前も知らなかったという。その後に興味を持ち今回の担当となってより深く調べる事になった。田中保が海を渡ってまで挑戦した時代背景や、人種差別などいろいろな偏見の中で多くの作品を残し、現地で名声を得ても祖国に帰らなかったのはなぜか、などを含めて少しずつではあるが発見があり、田中保の生き方により一層興味が深くなった、とのことである。田中保は残された資料も少なくまだまだ曖昧な部分が多い幻の画家でもあるという。渡米前から絵筆をとっていたのか、それとも海を渡ってから絵を描くことに目覚めたのかについても、記録が見つからず判明していない。以前の企画展の際には当館の学芸員が海外に関係資料の収集に行ったようだが、今回は費用の制約もあり十分な調査が出来なかった。もしも調査費用が集められたら行きたいですか、と話を向けると「田中保が生活したシアトルやパリなどで足跡を辿って、埋もれている筈の貴重な資料を集めてみたい。でもお金が集まっても次の企画が動き出しているのでその後になりますね」と笑顔で答えてくれた。岩槻の皆さん、田中保の謎の部分を調べて後世に残す作業を佐伯さん達に託す方法を考えてみませんか。「編集部・奥山」
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