今回、お話を聞いたのは有限会社ジョイント企画支社長の山崎さんだ。新潟出身の山崎さんは中学生の時に燃えろドラゴンでブルースリーに憧れ、東京でスーツアクターや役者をしていたが、現在は新潟へ戻って、版権子供ショーの運営会社で裏方をして活躍している。
――この業界に入ったきっかけは?新潟県六日町の雪まつりでぐるぐるめだまん(1976-1977年)のショーに入ったのが1番最初。雪の中で全く見えない中のショーだったよ。それから東京に出てきたんだ。東京に出るために東京の会社に一回入ったけど、8-9ヶ月で辞めた。あの頃は血気盛んで役者の道に行かなきゃという気持ちがあったから。でも、2月に当時所属していたアクション事務所の社長がきて「仕事どうしてやめた!?」って怒られた。それでなぜか、『ウルトラマン80』(1980年)のテレビシリーズの怪獣役のオファーが来たんだ。――ウルトラマン80の怪獣役をやっていたの!?キャラクターに入ることに慣れていて当時の撮影スピードについていけたから、13本連続で怪獣をやったよ。でも、子供ショーのリハーサル中に頭を打って泡吹いて病院に運ばれてしまい、頭に重いものを乗せることができなくなったから、80の怪獣役を降板したんだ。――その後は?子供ショーの悪役を中心にテレビ等に斬られ役を中心に出演したが、「コブラ(1982年〜1983年)」で声優の野沢那智と仕事をし、その実力に圧倒されてしまい、芝居をやめ裏方になったんだ。でも、もしあの時、ダメだとそこで感じなければずっと続けていて、ある程度まで行けたかもしれないけど、当時はその自信がなくてやめてしまったんだよな。【うえぽん】
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