本紙2022年12月号に続き、有限会社ジョイント企画支社長の山崎さんの話。新潟出身の山崎さんは中学生の時に燃えろドラゴンでブルースリーに憧れ、東京でスーツアクターや役者をしていたが、現在は新潟へ戻って、版権子供ショーの運営会社で裏方をして活躍している。
――ウルトラマン80の撮影はショーとどんなふうに違いましたか?山崎さん ショーの時は他の演者との絡むことが基本だったけど、撮影はウルトラマンとの絡みだけで、しかも、俺が街を壊さないとウルトラマンが出てこないから半分は一人だったことが違った。特撮のシーンを撮影するのに1週間。そのうち最初の3日間で街を壊して、後の3日間でウルトラマンに倒されたよ。当時はフイルムで撮影していたからワンカット取ったら別の角度から撮ったりという撮影でとても時間がかかった。ワンカットごとに一個一個ミニチュアを直して、ライティングをし直していたから。だから1日20カットぐらいしか取れなかったな。でも監督の調子が良い時は最高で60カット取ったことが1回だけあったよ。――ウルトラマン80の怪獣は動きがコミカルであることが特徴ですよね。撮影中のエピソードはありますか?山崎さん 当時はフィルム撮影だったから一本取。指定された場所に転がって入って、というのが結構俺、勘が良かった。作りたての怪獣の着ぐるみはとても硬く動きづらくて、普通は転がるだけで大変なんだけど、俺は転がってから立つことができた。転がった後、立っているシーンがつながっているときにその辻褄を合わせることがうまかった。シーンの中の指定のアングルに倒れることも上手だった。アングルは動かさないことが前提だから、指定された場所に倒れる必要があるけど、それがすぐにできたから重宝されたんだろうね。これは子供ショーに慣れていたからできたんだと思うよ。【うえぽん】
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