しらこばと水上公園と飛行場佐藤里枝
埼玉県営のしらこばと水上公園は昭和54年にさいたま市岩槻区と越谷市にまたがって造られた。以来、夏季のプール期間中の土、日は交通渋滞を引き起こすほどの人出がある。オフシーズンの今は、マス釣り場になるが、広い駐車場はがらんとしている。葉を落とした街路樹の桜もしなやかに枝を伸ばし、その先の花芽もまだお休み中。第一駐車場と公園を結ぶ歩道橋の真下に南に1・5キロほどの直線道路が通っている。この辺りにあった論田(ろんでん・岩槻区末田の小字名)飛行場の滑走路の跡地を利用したといわれている。ここは第2次世界大戦中の昭和19年7月に軍用地として強制買収され、陸軍飛行場の造成が始まった。この工事は、近隣町村の勤労奉仕隊や学校生徒たちによって急ピッチに進捗し、年内に完成を見たという。今のような建設機材のない時代、多くの人の手で完成したものの、ただ一機が不時着しただけで終戦を迎えた。戦後まもなく払い下げになった飛行場跡地は強制的に移転させられた元住民などの手により、農地に少しずつ戻っていったという。歩道橋からまっすぐに続く道を見ていると、飛行機で滑走路へゆっくり下りていくような気持になった。時代とともに変遷を重ねていったこの地の今、農地は減ってきたが、足音に驚いて用水路からシラサギが飛び立ったり、時折、シラコバトが見られるなど、心休まる所だと感じた。[※参照「岩槻 城と町まちの歴史」](第11回)
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