
1994年12月5日知事室にて(土屋知事、佐藤市長、村上さん)
「ともちゃん地蔵」とは、満州難民収容所の悲話を伝承するお地蔵さまのことで、慈恩寺地区の玄奘塔にあります。
村上さんは、「お祝いで無駄なお金を使うより、お地蔵さまを作って満蒙開拓団の悲劇を後世に語り継いていくほうが有意義だ」と考え、米寿のお祝に貯めたお金を、お地蔵様の建立の資金に充てました。
村上さんは、1936年夫と共に中国上海に渡り、佳木斯(ジャムス)で終戦を迎えます。
異国で生き抜くためにやむなく中国人と結婚します。
貧しい生活・風習の違いなどに耐えながら5人の子どもを育てます。
1953年1回目の帰国できる知らせあったものの、子供らを残して自分だけが返るわけにはいかないので帰国を断念します。
そして1977年中国人の夫が亡くなったのを機会に、日本への帰国を決心し実家のある神戸に身を寄せます。
親族は涙を流し帰国を喜んでくれたけれども、中国との風習の違いから身を寄せた親族の元に居られなくなります。
当時は、身元保証人が無ければ帰国することが出来ず、帰国しても日本政府の生活の保障は一切なかったのです。
身体一つだけで祖国日本に帰ってきただけで、「どうやって生きていけばいいのか」という実態だったのです。
村上さんは、『帰国者は習慣・言葉が分からないのだから温かく見守ってほしい。
一日も早く安らかな気持ちで定住が出来るように取り計らって欲しい』と要望していました。
そして自らも帰国邦人の互助組織「紅梅の会」を1984年に立ち上げ、中国からの帰国者の支援のために、地域、学校、行政とのパイプ訳として生涯をささげ91才で大往生を遂げました。
葬儀には、市長をはじめ市の重役・県議・市議・小中学校など200人以上が参列しました。
【岩槻ホタルの会・新井 治】
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