ともちゃん地蔵ってなぁに ⑨ ブラックサーズディ

第一次世界対戦後 、アメリカ経済は大量生産大量消費が本格化し、 経済が急速に拡大して 空前の大景気を迎えました(狂騒の20年代)。
しかし20年代後半になると、過剰に生産された商品が余るようになるとともに、株式投資が過熱し株価は上昇し続けました。
生産過剰で企業利益が上がりにくくなっているにもかかわらず 株価だけが上昇を続けたのです。
そして1929年11月24日(木)、 株価が大暴落し(暗黒の木曜日)、経済的に大混乱に陥りました。
企業や銀行が倒産し1300万人もの人々が失業しました。
史上最大の恐慌は瞬く間に世界を覆い尽くし、植民地を持つ国々は、自国の商品に有利になるよう他国の商品を排除する保護貿易を推進するブロック経済を進めました。
このブロック経済化に対抗することを余儀なくされた日本は、日満華経済ブロック構築を目指してアジア進出を加速させることになります。

この時期日本では、戦後恐慌・震災恐慌(関東大震災)・金融恐慌に苦しんでいました。
そして世界恐慌の真っただ中、浜口内閣が金解禁を行ったため、円高となり輸出が減少し輸入が増加しました。
加えて緊縮財政の結果強烈なデフレとなり輸出産業は大不振に陥り、多くの企業が倒産し多くの人々が職を失いました。
また農村では、米価が大暴落するとともに、主力産業である絹の値段が5分の1まで暴落し、農家の収入が激減し貧困が広がり餓死者が出たり娘の身売りが横行し社会不安が高まりました。

当時、稀少であった大学・専門学校卒業生のうち約3分の1が就職できない状態であり、「大学は出たけれど」が流行語にもなりました。
1930年(昭和5年)には250万人の人が失業者し、「ルンペン時代」と言われました。
こうした中、政府が思いついたのが余剰人員の海外移住でした。

【岩槻ホタルの会 新井 治】

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