被害者であり加害者
自分の土地がもらえる。
しかも10町歩。
サッカーコート14面分の土地をタダでもらえると言われ、千載一遇のチャンスとして満州へ渡った農家の次・三男や失業労働者たち。
しかし、現実は厳しいものでした。
中国人から奪った土地は、肥沃なものもあった一方、ジメジメとした湿地帯も多く農作に適さない土地もたくさんありました。
開拓団は排水・灌漑のために長大な溝を掘り、痩せた土地を改良するため草木灰や堆肥、家畜糞や人糞等まで利用し土地を耕しました。
広大な土地を、少数の家族では耕すことは困難で、クーリ(苦力)※1 を雇って作業してきました。
また未婚男性は、募集した大陸の花嫁※2 と結婚し生活を築きました。
冬将軍の到来とともに氷点下20度から30度となり、息をする蒸気で目も鼻も口も真っ白な雪氷でおおわれてしまうほどの寒さです。
夜になるとオオカミの遠吠えが聞こえ家畜などを襲うので夜の外出は命がけでした。
満蒙開拓団の事業は、昭和恐慌で疲弊した農村を救済する名目ではありましたが、「満洲国」の治安維持や、ソ連との国境防衛力強化といった軍事的な目的も背景にあり、都会から離れた地域に多く配置されました。
そして本国への食料供給基地となったのです。
開拓団は国策で送り出された被害者でしたが、中国侵略に加担した加害者の側面もあったのです。
※1 土地買収にあたっては、武力にものをいわせ相場の10分の一以下の不当な価格で土地を取りあげました。
土地を失った中国人は「苦力」(クーリ)と呼ばれ日本人に使役されました。
中国人は「劣等民」と教育されてきた開拓団員には、中国人のうらみの声は聞こえませんでした。
「土地はもらったもの」という理解が強く、加害者意識は欠落していました。
※2 移民男性との結婚を目的に募集された渡満した日本人女性。
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