皆さんが郷土を想うとき、目に浮かぶ風景はどのようなものでしょうか。その地域に流れる川もその一つだと思います。例えば元荒川は今も昔も岩槻に住む人の原風景としてあるのでは。先日、知人から元荒川に架かる県道2号線の「岩槻橋」以前に架けられていた「太田橋」についての話を聞きました。現在、太田橋の標柱は岩槻橋の近くの草むらに横たえられた状態にあります。大正6年の地図には「城見橋」と記載があります。 太田橋の標柱に刻まれた年号は大正13年。知人によると、太田橋の名称は太田道灌に由来した明治初期の太田町誕生に起因すると思われるとのこと。そして、太田橋は太田の名前を冠した現存最古級の物ではないかということなのです。「太田道灌、岩付太田氏に結び付く岩槻の歴史にとって、無くてはならないものではないか」としています。にも関わらず、忘れ去られていく姿に一抹の寂しさと郷土の歴史を捨て去ってしまうことへの危機感を感じます。
郷土愛は大きな宝太田橋の誕生に関わる太田町は明治初期に、旧城内と武家地がこの町名になりました。太田町は岩槻町と合併して短命に終わりましたが、昭和50年頃でも明治生まれの人から電話があると、「太田町の○○です」と名乗っていたそうです。何気ない日常の中に浮かぶ郷土への愛着がこの言葉に表れているように思います。郷土愛とは特別なものではなく、そこに住む人に息づく連綿とした日常の積み重ねと想いであり、それをつないでいくことが後世に残る宝になるのではないかと思います。【三楽斎の犬槻丸歴史ものがたりの会 会長・髙橋真理以】
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