まりいの岩槻魅力はっけん伝⑥ 「資正公から広がった市内の輪」

こんにちは。まりいです。
去る2021年7月18日に「岩付城主太田資正(すけまさ)公生誕500年祭学習会」をコロナ禍で無事に開催することができました。
昨年、岩槻で開催した学習会にも遠方からの参加があり、資正公への関心の高さを知ることができましたが、今回は資正公の家臣のご子孫、資正公の子どもたちの家臣であった方のご子孫など、さいたま市内にこんなにいらっしゃるのかと思うほど、ゆかりある方々にお申込みいただき、予想以上に人の輪、交流の手ごたえを感じられた学習会となりました。
そこで今回は、学習会でも取り上げられた大宮区にある「寿能城(じゅのうじょう)」を紹介します。

寿能城は資正公の四男
潮田資忠公の居城

大和田公園の野球場側に隣接する閑静な住宅街に囲まれた場所に寿能城跡があります。
寿能城は岩槻付城の支城であり、資正公の四男である潮田資忠(うしおだすけただ)公の居城でありました。
 条氏と資正公の長男氏資公により、資正公が追放された後、資忠公も北条方につきましたが、当時の岩付太田領を示す遺構の一つであることは間違いありません。
現在は寿能公園となり、資忠公の墓所が残るのみですが、周辺を歩くと、見沼を天然の要害とした城であったことがわかります。
「太田潮田系図」という資料によれば大宮と浦和の木崎を資正により与えられたことが示されています。
岩槻と関係の深い場所。大和田公園に行く際に立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
【三楽斎の犬槻丸歴史ものがたりの会 会長・髙橋真理以】

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