「ほろ苦い思い出」
私が高校生、今から55年も昔の話です。
その頃私は小説家気取りで、生意気にも「文芸同人」に加わっていました。
大人を相手に青臭い議論をふっかけていたのでしょう。
巷では「学生運動」が勃発した時期です。
その同人に1歳年上の女性がおり、同じ高校生で親近感も沸きました。
しかし、それはこっちの勝手、彼女は大学生のBさんに好意を寄せていた。
彼女はいつも右手を左手で包み隠し、その仕草が大人っぽくキザにも見えました。
それでついあなたのその仕草はと余計なことを言ってしまった。
彼女は私をにらみつけると、黙って私の方へその手を突き出した。
彼女の手とは思えない色でした。
私は事態が飲み込めない。
慌ててBさんが彼女をかばう。
彼女の手は「義手」でした。
私は思いがけない展開に狼狽した。
彼女は交通事故で片腕を失い、未だ心の痛みが消えていなかったのです。
とんでもない失言をした。
いたたまれなくなった私は、その場から逃げるように外へ出た。
何をすべきかが見つからず、その日から悶々とした日々が続きました。
しばらく経ったある日、彼女から同人に顔を出すようにとの連絡が入りました。
針のむしろです。私は意を決し出かけました。
そして、その折の不明を詫びた。慣れているから大丈夫、でも時々失った腕が疼く。
夢の中では右手が勝手に動くと自嘲気味に言った彼女の言葉の意味もわからずに、ぼんやりと聞いていた私でした。
ほろ苦い昔の思い出です。
私がのちに「障がい者心理学」を専門に大学で教鞭を執るようになる一因のひとつかも知れません。
不慮の事故による切断では失った箇所に痛みが走る。
暑さや冷たさを感じると言います。
これを「幻肢(げんし)」といいます。
切断時の心理状態、願望などの諸要因が作用しています。
人間は、過去の経験を大脳に記憶しており、彼女の場合も実際には腕を失っていますが、大脳には事故前の片腕がインプットされています。
そのため過去の記憶がよみがえり痛みを感じたのです。
藤野信行(NPO親子ふれあい教育研究所・代表理事)
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