平成29年2月25日、大宮ソニックシティで行われた日本心臓リハビリテーション学会による「第1回 関東甲信越支部地方会」で、岩槻出身のダンサー・SAM氏による「ダレデモダンス」のワークショップが開催された。会場には、200名にも及ぶ医療関係者が参加。踊ることにより体や脳を活性化させる「ダレデモダンス」のアクティブシニア世代向けプログラムに汗を流した。そして、イベント終了後にSAMさんへのインタビューを敢行。岩槻出身者の一人として、街の思い出や内に秘めた思いを伺った。
<SAMさんプロフィール>
15歳でダンスに目覚め、単身ニューヨークへ留学。複数ジャンルのダンスを習得したのち、TRFのメンバーとして活躍。コレオグラファーとして様々なアーティストの振り付けを担当するほか、現在、一般社団法人 ダレデモダンスの代表理事も務める。
◆ SAMさんインタビュー ◆
――今はどれほどの頻度で帰られていますか?ワークショップでは3ヶ月に1回ほど。ただ、実家があるので月に1回ほどは帰ってきます。
――ご多忙な中、以前から岩槻へ帰られる機会は多かったのですか?高校卒業後に実家を出てからは、忙しくて何年も帰れなかったときもありました。TRFで慌ただしかった当時はそれこそ、正月に帰れるか帰れないかのようねペースでしたね。その当時と比べると、時折、顔を見せられるようになりました。
――子どものときはどのように過ごしていましたか?もう岩槻では野山を駆け回っていました(笑)。それこそおはやし公園(岩槻城址公園の通称)はメインの遊び場でしたよ。あとは、鐘つき堂ですね。
――時の鐘ですね。そうです。太田道灌が造ったという歴史ある文化遺産ですよね。今振り返ると、貴重であるにもかかわらず中に基地を作ったり、無茶をしていましたね。
――岩槻へ何か特別な思いはありますか?最近、雛人形を買いに行ったときに思い出したんですよ。日本の伝統文化である「人形づくり」というのは岩槻ならではのものなのでもっと、よい切り口でアピールできないかと考えますね。
――ちなみに他の地域の方とお話するとき、岩槻の評判を耳にする機会はありますか?やはり「人形のまち」という名前はよく聞きます。大宮と春日部の間だと説明する機会も多いですね。
――最後に、これからの岩槻へ求めるものはありますか?元気な街になってほしいですね。ワークショップを通して年配の方とふれあう機会も多くなり、ダレデモダンスもそのきっかけに繋がればと願います。
この記事へのコメントはありません。
この記事へのトラックバックはありません。
Δ
ペットの野良猫、モンタ物語 「僕は捨て猫、モンタです」47、48話
春の恒例行事 まちかど雛めぐり
トップページに戻る
移動済み情報記事一覧へ
Copyright © WEB ら・みやび 岩槻 All rights reserved.
この記事へのコメントはありません。