仲町商店会にある曹洞宗の慈眼山千手院は、江戸時代にたび重なる火災に見舞われてしまったために、宝暦年間(1751~1764年)以前の記録が失われている。慈眼山千手院の歴史を辿ると、始まりは永禄年間(1558~1570年)。香庵明梅により開山されたといわれる。近隣にある秋葉神社は、明治の神仏分離以前の旧別当寺であった千手院の開山の頃の永禄12年に勧請されたものとされている。ただ諸説あり、江戸時代にあたる享保12(1727)年に勧請したという逸話もある。口頭伝承によるものだが、江戸時代の中頃には現在の栄町から仲町までが、火災により焼け野原となった。不意の災難に見舞われた人びとは、合議の末に、静岡県周智郡の秋葉本宮から神体を受けて創建したといわれる。それは当時、秋葉権現は火防の霊験があるとして信仰されていたからだ。尚、地域で「子育て地蔵」といわれる地蔵尊も祀られているのだが、詳細は不明である。
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