怪我や病によって命を守るためにやむを得ず、人為的に損傷部位を切除する処置が成され切断することもありますし、事故などでなることもあります。
切断は主に二種の困難をもたらします。
一つは機能面での喪失です。
それまで使っていた腕なり、足なり指なりが無くなるのです。
その手足や指が担っていたことがすっかりできなくなることで不自由になること想像に難くないと思います。
無くなってはじめてその部位が担っていた役割やそのありがたさに気づくくらい、日常のあらゆることに困ることがあるようです。
もう一つの側面は外見です。
四肢、指がそろっている人の姿を見慣れている多くの人にとって、そのどれかが無いという姿は異様に見えるようで、今は昔ほど表立って拒否感を表す人は少なくなったとは思いますが、ぎょっとしてしまう人は多いように思います。
ゆえに、機能性は何もないものの、見た目、四肢があるように見える装飾義肢というものの需要はまだまだ高いです。
乳がんによる乳房切除後の装飾乳房も、見た目の補完にほかなりません。
機能面の喪失については、どの部分で切ったか(どの部分まで生きて使える状態で残っているか)によって、肉体で動かせる部分が異なるため、その人に合わせた機能訓練が行われます。
指であれば、先から三つ関節がありますが、そのどこまでが残っているかによって、できる動作がだいぶ異なります。
ですから、医師はできるだけ長く残したいぎりぎりの切断箇所を適切に判断する必要にせまられます。
楽ではありませんが、機能面は、リハや道具の利用で再獲得することが可能です。
パラリンピック選手が事故で切断するか、使えないけれどもなんとか自分の足を残すかと判断を迫られた時に、走れない足ならば切ってくださいと医師に頼んだという話を聞いたことが
あります。
動かない足を残すより、切断して義足を付ければ、速く走れるだけの機能を獲得することはできるのです。
今の日本であれば。ロボット工学の進歩により、この十数年で飛躍的に進歩しました。
外見については、まだまだ、多くの人が普通の目で見るまでには、浸透していませんかね。
例えば、温泉で切断の人に遭遇したことがありますか?
今はまだ、本人もさらけだせるほど受け入れている人は少ないかもしれません。
残念ながら、切断面の傷あとなどをみて気持ち悪いなどと心無い言葉を投げかける人もまだいるようです。
広い範囲のやけどのあとを持っている人や、身体のどこかに奇形があるような人などに対して、外見でその人の価値がわかるわけではないのに、むやみに拒否感をもつその目が一つのバリアです。誰でも、起こりうる、もちうる障害。
外見の違和感にてその人を、社会から排除するようなことが無いように、願ってやみません。
【愛風・久毛】
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