地下鉄7号線延伸に向けて 現在までの経緯をたどる

今回は、こちらでも取り上げている「地下鉄7号線延伸」についての話題を、このコーナーでも取り上げていきます。
初めに、旧・岩槻市はさいたま市へ編入合併した経緯を振り返っても、地元への地下鉄7号線延伸は実現されなければならないと考えています。
その理由を述べていきたいと思いますが、その前提として、計画当初から現在までの時系列をたどってみます。

◎過去から現在までの経緯

地下鉄7号線の計画が誕生したのは、昭和37年。
当時、東京都内の目黒から赤羽間を走る路線として、運輸省(当時)に設置された都市交通審議会で答申されました。
そこから約30年後。営団地下鉄(現・東京メトロ)の南北線として、駒込〜赤羽岩淵間の6駅を結ぶ約6・8キロの路線が部分的に開業しました。
そして、平成12年に運輸政策審議会で「東京7号線は、浦和美園~岩槻~蓮田までの区間が目標年次(平成27年)までに開業することが適当」と答申があり、年を同じくして南北線が目黒〜赤羽岩淵間の19駅に拡張。
約21・3キロに及ぶ路線として、全面開業しました。
さらに、翌年の平成13年には、赤羽岩淵〜浦和美園間の7駅を結ぶ約14・6キロの埼玉高速鉄道が全面開業しました。
岩槻市がさいたま市へ編入合併したのは、その4年後。
平成17年でしたが、合併前に発足したさいたま市・岩槻市合併協議会が作成した「新市建設計画」には当初、地下鉄7号線延伸が計画に盛り込まれていました。
埼玉県及びさいたま市も「地下鉄7号線に関する基本的考え方」を、新4原則2課題としてふたたび整理していました。
その後、平成24年には、さいたま市が地下鉄7号線延伸についての新たな方向性を発表し「浦和美園~岩槻地域成長・発展プラン」を策定。
検討段階から実行段階へと移されました。
さらに、平成30年には、地下鉄7号線の延伸協議会の報告があり、5つの検討ケースのうち2つのケースが「都市鉄道等利便増進法」適用の目安に届き、延伸事業の可能性及び課題が明らかにされ、現在に至っています。

◎機運を高めていきたい

さて、現在までの経緯をたどってみましたが、平成30年には「都市鉄道等利便増進法」へ適用される目安に届いたこともあり、これまでの検討段階から大きく変化して、実現までの道筋が見えました。
そのため、この機会を逃すことのないよう、岩槻区民を中心とするさいたま市全体が一体となって地下鉄7号線延伸のムードを作っていく必要があります。
私は、岩槻区の未来を担う若者として、この機運を高めていきたいと思っているので、ぜひ、みなさんのご協力をお願いいたします。
【さいたま市若者会議 代表・尾舘祐平】

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