「岩槻延伸についての考え方の整理」(埼玉高速鉄道株式会社 代表取締役社長・荻野洋氏)
●岩槻のポテンシャルと鉄道の能力の活用岩槻はとてつもなく大きなポテンシャルを持った街であります。江戸時代城下町として栄えた街には由緒ある史跡が多数点在し観光のまちとしての潜在能力を持っています。観光客に見せるための「行事」も、とても多く、大きな祭りで23ほど、また地域を活性化しようという団体も数多くあり、それを支える人材も多いという、他の都市では例を見ない特異な街なのです。このように素晴らしい財産がありながら、観光客の入り込み数は川越が年間700万人に対して岩槻は年間50万人とおおきく引き離されています。この街を鉄道でつなぐことで、鉄道の持つ得意分野の「情報発信力」と「誘客力」が利用できるのです。この2つの力を活用することで、さいたま市内に川越に匹敵する大観光地を作っていきたいのです。当鉄道は災害に強いという特徴があります。11年前の「東日本大震災」の時に、最初に列車が復活したのが南北線と埼玉高速鉄道でありました。この時、災害に強い線ということが立証されました。埼玉まで来ればなんとかなると、お客様が浦和美園に殺到したのです。岩槻延伸も首都防災の観点での必要性があると申し上げたい。
●街づくりは、「発地」と「着地」の車の両輪で(着地誘客の重要性について)
今までは、利便増進法を文面通りに適応し、「沿線開発+速達性」で判定してきました。この「沿線開発」には、その地域への産業誘致などによる定住人口の増加を期するものであり、そのために住宅開発を主体にしたものでした。また岩槻の住人にとってこの鉄道を使うか否かに焦点が絞られた調査でした。あくまで「発地」の視点での需要喚起でした。観光客の誘致による入り込み数の増加と、それらのお客様の消費という「着地」による経済活性化、それによる雇用の創出はあまり考慮されていません。私は鉄道の誘客力による活性化を重視します。「発地」としての利用者増は市街化調整区域の開発域への変更など時間のかかる調整が必要です。しかし、この「着地営業」としての観光開発ならもっと短期間でできます。それは、観光開発は観光の「発信力」と外から呼び込む「集客力」という鉄道事業者の得意分野と、地元の努力としての「お客様に対して見せる工夫」と観光客が「お金を使ってくれる仕組みづくり」のマッチングなのです。発と着は車の両輪です。今までは、真面目に「発」についてばかりの「開発」だったように思います。これからは、鉄道事業者を巻き込んだ「着」重視で街づくりをした方が、早く進むと考えます。一般論として、輸送形態の中で、鉄道輸送が最も省エネであるということは旧聞に属する事でありますが、エネルギー消費量について鉄道はマイカーの約1/5と言われています。今後、世界的に省エネが進む中で、マイカーよりも鉄道を選択しておくのは賢明であると思います。
番外編「岩槻慈恩寺『玄奘塔』について
玄奘三蔵法師の本物のお墓が、この岩槻慈恩寺にあるということはあまり知られていません。玄奘三蔵が、インドから持ち帰った経典を生涯かけて訳したのが中国の「大慈恩寺」であり、この寺に法師のお墓がありました。第二次大戦中に日本軍が南京を占領していた時に、たまたま工事で発掘された骨壺を日本に持ち帰り調べたところ、黄巾の乱で紛失したとされていた玄奘三蔵法師の本物のお骨ということが判明しました。当時の東京では空襲が激しく、名前が同じということで、岩槻「慈恩寺」に安置されました。戦後に「これは戦利品であるから返却すべし」ということになり、時の中国政府に打診したところ、時の蒋介石政権は「返すに及ばず、いずれ中日の架け橋となるであろう」とそのまま岩槻に安置することを許し、僧侶を派遣し安置式を行いました。13重の石塔がありますが、これは東武鉄道の根津社長宅(当時)の庭石を移設したとのことです。玄奘三蔵がインドから持ち帰った経典の中に「般若心経」があり、この翻訳の素晴らしさ故に1300年も唱え続けられているのです。私はこの「玄奘塔」だけで、年間100万人は岩槻に呼べると考えています。なお、戦後に台湾と奈良薬師寺には岩槻慈恩寺から分骨されています。
地下鉄7号線延伸 荻野社長の思い(前編)の記事
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