先月号に続き、田中保(1886~1941)の後半の活躍と開催中の回顧展「田中保とその時代~10/2」について少し紹介します。
1917年六つ年上のルイーズとシアトルで結婚した田中保は、1920年34歳の時、アジア人差別の残るシアトルを離れ、一緒にパリに向けて出発する。パリでは画塾を開きながら、サロン・ドートンヌなどへ作品を積極的に出展し、西欧での評価は次第に高まって行った。ルイーズは外交面からも夫をよく支え、作品はフランス政府にも買い上げられる。一方、保は祖国日本でも認められたいとの思いも強く、1924年帝展に応募するが、外国で絵を学び育った田中保を日本の画壇は受け入れることはなかった。1934年と38年に西欧の著名な2つの美術事典に田中保の名前が収録される。ルイーズは1936年「芸術と自然」と題する講演をフランス語で行い、これらの講演を通じて、田中保の名声を高めることに貢献している。1941年保は独軍に占領されたパリにて客死する。ルイーズは保の絵を持って南仏に逃れ作品を守った。その後、ルイー ズにより保の頭髪と遺品は岩槻に送られ、田中家の菩提寺芳林寺に埋葬された。ルイーズの死後、1970年代になって「田中保」の作品は日本に紹介され、東京の伊勢丹・東急百貨店、大阪や埼玉などで展覧会が次々に開催され、どれも盛況だった。今回の展覧会は、田中保の作品を第1章~第5章に分けてスッキリしたレイアウトで展示されとても見やすい。また田中と同時代にパリで活躍した画家とのつながりやその画家の作品がバランスよく展示されていて、これらも見応えがありいいアクセントになっている。初期の風景画と後期の風景画を見比べるのも面白い。裸婦画については爽やかな傑作が多い。大きな肖像画はどれも迫力があり、間近で絵具の盛りや筆の跡を辿ると実物の凄さを痛感する。 岩槻の鎮守久伊豆神社には15羽の孔雀がおり、これは1938年に朝香宮によって 下賜された3羽の孔雀の子孫である。朝香宮はフランス留学時代に田中保と交流があり、東久邇宮と共に田中の絵を購入している。どんな絵を購入したのか、ずっと気になっていたが、今回の展覧会で明らかになった。また岩槻区役所4階には田中保の「月光」と題する暗い色調の絵が飾られているが、今回の展覧会に貸し出され、明るく・広い場所で眺めると、これまでと一味違う趣があることに気付いた。最後に、埼玉県立近代美術館に次ぎ田中保の作品を数多く保有するサトヱ記念21世紀美術館(加須市)が今年6月に閉館になり、田中保の絵を含め今後の動向が気になる。さいたま市が生んだ田中保の作品を、近場で一気に観られる機会はしばらくはなくなりそうで、好きな絵を中心に、もう一度ゆっくり近代美術館を訪れてみようと考えている。なお、岩槻で9月に担当学芸員を招いて開く予定の講演会はコロナ拡大を懸念し、残念ながら中止することになった。【島田祥博】
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