愛風久毛です。知的障害の続きです。程度が違うとどのような違いが出てくるのか。これは、あくまでも参考です。実際には、純粋に知的障害だけではなく、自閉や注意障害、脳性麻痺などの身体的な障害を合併している人も少なくありませんので、その人それぞれというのが本当のところです。でも、それは、みなさんも同じです。
兄弟でも親子でも、全て同じということはまずありませんよね?
走るのが得意だった父親の娘でも、走るのが遅いということもありますし、おしゃべりなお母さんの息子が無口だということもあって、普通ですから。以下は、あくまで知的障害のみ
の説明です。
IQが50〜70くらいですと、生活上必要なことはできます。お話もできますし、読み書き計算もできます。数学などの複雑なものや、手順が複雑な作業になるとできないこともでてきますが、決まった仕事を教えられた通りに行うということは、むしろ得意かもしれません。複雑に考えることは苦手ですから、純粋に教えられた通りに行動されることが多いように思います。自閉や注意障害などがなければ、他者の気持ちへの共鳴もでき、イメージとしてはピュアな人という感じでしょうか。少し会ってお話ししたくらいでは、障害を感じられないかもしれません。
21〜35くらいになりますと、身辺のことにも少し介助を要することが出てきます。お話しも語数が少なくなって、より幼く感じられます。はじめて会っても、何か障害があるのだろうとわかります。でも、簡単なお手伝いなどはできますので、その人に会った環境を準備することができれば、工賃を得るような仕事をすることも可能です。
20以下になりますと、最重度と呼ばれますが、言葉を習得できません。身辺のことの多くに介助が必要です。身体は健康に成長します。歩くという機能を獲得しない人も居ますが、それは、適切な次期に、必要な介入が成されていなかった場合です。他者が適切な次期に、歩くように促したり、その経験をさせるような関わりをすれば、歩くことはできるようになります。自らしゃべることはできないです。言われたことを理解するというところでも、言葉そのものの意味というよりは、そこに乗せられている感情などを感じるという理解の仕方になりますので、ほめられたうれしい、怒られた嫌だ、好き嫌いなどを、行動で示すような生き方をしていくことになります。赤ちゃんの次期に、どのような関わりをするかによって、何ができるようになるかは、大きく変わります。
私は、育児放棄をされてしまった最重度の年子の兄弟を担当したことがあります。4〜5歳なのに、ハイハイしていて、ミルクしか飲めませんでした。もっと早い時期に保護できて、食べることや立つこと歩くこと、体験させてあげられたならば、この兄弟は、もっとできていることが多かったはずです。自ら考えるところが機能不全であるという特徴のあるヒトです。誰に会えるかが、彼らの人生の質を左右することとなります。この兄弟は、最重度にも関わらず、私のことを覚えてくれました。今はどうしているのか。もう30年も前の話です。 【久毛】
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。