寄稿 「風魔の館」が岩槻にあった④ 若神子対陣と風間出羽守

 伝説の忍者・風魔小太郎のモデルとみられる、黒谷の風間出羽守。一体どんな人物だったのでしょうか。『後北条氏家臣団人名辞典』には「、風間」の名が見える後北条氏の発給文書5件が挙げられています。うち1件(鎌倉市・佐藤行信氏所蔵文書)は、4代目当主・北条氏政の風間出羽守あて書状です。
 注進状(戦況報告)の趣き、いかにも心地好く候。絵図を致させ(描かせ)見届け(確認し)候。然らば(ところで)、大手陣(5代目当主・北条氏直の軍勢)はいよいよ吉事の連、信州(信濃国、長野県)・遠州(遠江国、静岡県西部)の境において、山家三方衆(三河国、愛知県東部の山奥の3方面の軍勢)千余人を討ち捕り、信州は残す所無く候。当口(我々の方面)へも定使(じょうづかい、連絡役の使者)見届く(確認できる)べく候。毎日人衆(軍勢)打ち着き(攻撃し)候間、よくよく首尾を合せ打ち出す(出撃す)べく候。無二此時今こそ)、走り廻る(活躍する)べく候。謹言。九月十三日 (北条)氏政﹇花押﹈ 風間出羽守殿(原文を書き下して補注しました。翻刻は『神奈川県史資料編3﹇2﹈(古代・中世3下)本編』968頁などを参照。東大史料編纂所で影写本が閲覧できます。)
 書状は年次を欠きますが、後北条氏の軍勢が信遠境で山家三方衆と戦うという状況から、『神奈川県史』などは天正十年(1582)の八〜十月、後北条氏と徳川氏が織田氏の旧領の支配を巡り甲斐国(山梨県)の若神子(わかみこ、北杜市)で対陣した際の文書と推定しています。
 風間出羽守は、小田原城に隠居していた北条氏政と作戦を打合せており、また氏政から若神子の大手陣の戦況を誇張を交えつつ伝えられているため、大手陣とは離れた場所に居て、氏政指揮下の別方面へ出撃しようとしていた、と考えられます。
 さて、この風間出羽守は、黒谷の風間出羽守でしょうか。このとき何処に居たのでしょうか。(続く)
【岩槻風魔忍び研究会・吉田】 北条氏政書状から推測される天正10年(1582)9月(若神子対陣)の戦況図

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