そうして当日。
斎藤様方が新府城経由で景徳院へ。甲冑の都合がある自分達は直接景徳院へ向かいました。が、ここで問題が発生。
景徳院側とのお話が難しく、特別な儀式は行ってもらえず、以降はお好きに、となったとのこと。…その可能性はすでに自分側で考えてありました。
自分のこの長永の名は、ご先祖様・武田軍占い師修験者長永より。
当家伝来の、武田軍の戦地での戦勝祈願に使用されたという、組み立て携行式の不動明王像を持参済みでした。
この不動明王様立会いの下、子孫の長永を仮の導師と見立てていただき、現代の言葉そのままにて勝頼公のお御霊を御招きさせていただく形で、斎藤様含め一同御納得いただきました。
勝頼公だけでなく、北条夫人,信勝公,殉死家臣方一同が居られる場各所にて御挨拶・お話をさせていただき、勝頼公を御札へ御招き致しました。
儀式を執り行い、景徳院より急ぎ群馬岩櫃の潜龍院へ。
こちらも御寺様の直接参列は無かったので、引き続き自分が仮の導師として、勝頼公を御招きさせていただきました。
潜龍院の建物があった場所、すなわち勝頼公がお入りになる場所だった所にて一同お祈りを行い、次いで、潜龍院を守り続けておられた歴代住職様の御墓、一基ごとに御報告申し上げさせていただきました。御札も御寺様へ御納めいただき、これにて儀式を全て完了致しました。
以上の事で、二〇二〇年二月二十二日に、勝頼公の魂だけは真田昌幸公の岩櫃城に無事入城されました。
御札の一般公開等はございませんが、潜龍院跡は史跡として自由に散策可能です。
岩櫃城に来訪される際は、ぜひ潜龍院跡もご見学いただき、時を越えて辿り着かれた事に思いをはせていただけたら幸いです。
先祖の長永も喜ぶと思います。【本格格闘甲冑集団-式-・長永】
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