寄稿「小岩からの慈恩寺道㉑ 岩附、海外 慈恩寺玄奘塔 玄奘三蔵霊骨」

 今回の道しるべをたどるきっかけとなった玄奘三蔵法師のご遺骨は、慈恩寺から少し離れた飛び地の玄奘塔にあり、同敷地内の十三重ノ塔に安置されています。
 では、なぜ、玄奘三蔵法師のご遺骨が慈恩寺にあるのでしょうか?それは前にも述べたように、太平戦争中の昭和一七年一二月、南京を占領中の日本軍が、稲荷神社を建てようとして、丘陵掘削中に玄奘三蔵法師の石棺(大きさは約六〇×七五×六〇)を偶然発見しました。この石棺には演化大師よって長安から南京に玄奘三蔵の頂頭骨がもってこられたと記されていました。
 昭和一九年南京の玄奘塔建立の際「日中の仏教徒が永久に法師の遺徳を大切にしよう」と言う趣旨で日本に分骨され、日本仏教徒代表の倉持秀峰氏に手渡されました。当初は芝の
増上寺に安置されていましたが、東京の空襲が始まり、倉持氏が住職を務める、蕨の三学院に移されたのち、玄奘三蔵ゆかりの大慈恩寺からその名前をとった慈恩寺に奉安されることになりました。
 昭和二五年(一九五〇)に慈恩寺玄奘塔が完成し、露骨を保管安置することになりました。(慈恩寺資料より)
 例年五月五日は玄奘祭で、お寺の関係者や地元の人達によって、盛大に玄奘塔で式典が行なわれます。慈恩寺から玄奘塔へ、大勢の幼稚園児が孫悟空となり、仮装の猪八戒や沙悟浄と、賑やかに行進を行います。
 また玄奘三蔵の露骨が安置される以前から観音霊場を巡るお寺とゆかりの深い山伏の方々も、法螺貝の音色を辺り一面に鳴り響かせて行進します。その後の玄奘三蔵の霊骨 昭和三〇年には台湾仏教会の要請で、埼玉県仏教会会長の倉持秀峰大僧正が台湾に奉持して、その後に建立された日月潭の玄奘寺に分骨され、また昭和五五年一一月 玄奘三蔵と縁のある奈良の薬師寺へも大切な霊骨を相互で保管し後世に残すため、分骨されています。薬師寺では当時、お堂を建て霊骨をお迎えしています。中国においても、数ヶ寺に分骨され、玄奘三蔵が仏
教を学んだインドの地へも送られています。
 2年近くに亘る私の文書による旅も今回で終了する事になりました。
 長期に亘りご愛読戴いた皆様にお礼申しあげますと同時に、岩槻、いや世界に誇れる玄奘三蔵法師の霊骨が眠る慈恩寺・玄奘塔を訪ね、また、私の文書を思い出し道標を頼りに慈恩
寺道を楽しんで歩いて戴きたいと思います。
私の10年以上体験・体感した慈恩寺道はこれからも続きます。
    【榎本淳三郎】

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