◎葛西用水※ 垳の庚申塔 観音寺慈恩寺道は大場川水門から垳川沿いの常燃寺を過ぎると、葛西用水に行きあたります。その交点に垳の庚申塔がありました。新しい呼称の八潮市ふれあい桜橋交差点内の葛西用水路わきに置かれています。
右 いわつき道 六里 前面 供 養 庚 申 草加へ壱里左 安永二年(一七七八年)ちおんじみち 是より市川 二里
道標は風化が著しく、文字が判読しづらい状態ですが、このように読みました。道がどこから来て何処に行くのかが記されたとても重要な道標です。目当てをつけた葛西用水を、此の地点から八潮駅を右手奥方向にみて、草加方面に北上することにしました。 垳地区から葛西用水に架けられた、新葛西橋や葛西橋を通り、つくばエクスプレス、と首都高速六号線高架橋下をくぐり抜け、大原小、中学校を通過すると用水路沿いに観音寺があります。山門奥の本堂の前庭には、八潮市で最も古い樹齢400年の銀杏の古木が植えられています。元和七年(一六二一年)に長清律師が開山し十一面観世音菩薩像を本尊とするお寺です。この観音寺に慈恩寺道に関係する百番供養塔が置かれていました。
右面 是ヨリ浅草観世音 三里 前面 百番供羪塔 天下泰平
その下に 与しのくに 廻り納めて 死者の旅 道引多まへ 大慈大悲に 左面、是ヨリ慈恩寺 五里 文化・・・慶応二年・・・(一八六六年)再興 とあり和歌が詠みこまれています。また再興された百番供養塔には慈恩寺と漢字で記されていました。※葛西用水 徳川家康が天正一八年(一五九〇年)入府したころより、葛西用水の開削が始まりました。農業の灌漑水路としてまた一時期は上水としても使用されました。現在の葛西用水は元荒川に隣接する越谷市旧瓦曽根溜井より取水し、草加市を流れて都県堺の垳川にそそぐ用水路です。今もこの地域の田んぼに水を供給しています。地元の人の話では、昭和中ごろまではさっぱ船 (通称・ろ舟)が用水路を行き来していたようです。ちなみに葛西用水はここから葛飾区内の曳舟川方面へ流れ、開削前の中川、荒川放水路の土地を横切り墨田区の向島や錦糸町へ伸びていました。【榎本淳三郎】
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