慈恩寺道と書かれた道しるべが置かれた北越谷第五公園から元荒川の土手に沿った緑地は、宮内庁埼玉鴨場や越谷梅林公園となって広がっています。梅林公園には紅梅、白梅など約三〇〇本の梅の木が植えられ、毎年三月上旬の梅まつりには多くの人が梅の花と香りを求めて当地を訪れています。江戸時代の画家安藤広重も、富士を背にした越谷の梅の木の錦絵を描いています。今でもこの辺りの土手道からは川の向こうの木々の間に富士山を眺望できます。川に沿った大道地区の道路に、一対の一尺程度の高さの庚申塔がありました。草藪を覗き込むと、そのうちの一本に「観音様のレリーフとちおんし」と記されていました。石造が置かれた場所の十数メートル下に、元荒川が流れています。
今まで見かけた道標には、慈恩寺や岩槻の表記には様々な文字使いがありました。 慈恩寺・志おんじ・ぢ於んじ・ちおんじ いわつき・岩附・い王徒き・岩月などです。
鎌倉時代の地名を残す越谷市三野宮の道端に、聖観音石造を置いた小さな小屋がありました。石造には「い王つき道 ちをんじ道」と記されています。
三野宮を過ぎると岩槻区大字大戸に入り、江戸時代初期に築かれた、大戸の堰の末田須賀堰があります。 現在もこの堰から用水路を通じて、周辺の田畑に灌漑用水が供給されています。平成五年(一九九三年)には、堰と一体の永代橋が造られています。この堰の近くの、武蔵第六天神社は、四月に末田須賀堰が閉められると、神社境内を囲む石垣下に広がる川原はなくなり、神社下まで元荒川となります。武蔵第六天神社は岩槻区大戸に古くからある天狗信仰で知られている神社です。 縁起によれば、岩槻城下の繁栄を極めた頃に、江戸城の忌門寺と知られていた華林山慈恩寺に文化~天保(一八〇〇年~一八四三年)の頃、お参りに行く人々が、この神社にも立ち寄ったと書かれています。門前に川魚料理店も並ぶ観光スポットで、境内は桜、藤、梅など植えられ、埼玉の自然百選となっています【榎本淳三郎】。
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