今回は加倉の淨国寺のエノキです。雌雄同株の落葉高木で、淨国寺の山門手前左側にある駐車場の左奥に、幹周り3・66mの巨木があります。樹齢は120〜160年と推定しました。このエノキは、よく見ると1本ではなく2本の木が合体しています。たぶんほぼ同時に芽生えた2本のエノキが、成長するにつれて間隔が狭くなっていき、最終的に合体したのではないかと思います。私は「淨国寺の夫婦榎」と呼んでいます。エノキの名前の由来はいくつかあります。一つは「木材が頑丈なため農具の柄を作るのに使われ『柄の木』となった」という説。他にも、「葉が国蝶のオオムラサキやゴマダラチョウの幼虫の餌になるため『餌の木』となった」という説や、「『縁結びの木』『縁切りの木』という信仰があり、転じて『縁の木』となった」という説があります。また、エノキは江戸時代に街道の一里塚に植えられていたことで有名です。成長が早く、横に大きく枝を広げ盛夏には旅人のために日陰を作り、またよく根を張り塚の土盛りが崩れるのを防ぐので採用されたとか、徳川家康が「一里塚には余の木を植えよ」と言ったのを、余の木をエノキと聞き誤り植えたという説もあります。実際に五街道(東海道、中山道、甲州街道、日光街道、奥州街道)の一里塚に植えられたのは、エノキが55%で、以下松、杉、栗、桜と続くとのことです。岩槻にも日光御成道の旧区役所前と相野原に一里塚がありましたが、今はその面影はありません。【森林インストラクター・桂幸一】
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