江戸時代の岩槻城及び城下町(岩槻宿又は岩槻九町ともいいます)には、愛宕社、秋葉社、浅間社、稲荷社、住吉社、牛頭天王社(八雲神社)、松尾社、久伊豆社、諏訪社、天神社、八幡社などがありましたが、久伊豆社は総鎮守として人々に崇拝されています。岩槻九町のまつりは、毎年総鎮守久伊豆社の祭礼日九月十九日(現在は十月十九日)を中心に行われていました。その時の様子は、次のようなものでした。岩槻城主小笠原氏時代は、九月十六日岩槻城の奉行が岩槻九町の名主を集めて、祭礼の決まり事などを書面にして渡します。名主は、五人組の頭を呼び祭礼の決まりを伝えます。また、戸塚村(川口市)の源左衛門や口入塩屋半右衛門をよび、笛吹きを雇うことや道具を運ぶ人足を九町に割り振りました。九月十七日名主は、お奉行様と小頭衆とともに九町内の芸場十カ所を見て回ります。九月十八日午前八時ころにお練りをする行列が揃い、城内や士族屋敷・九町を練り歩き、午後二時頃には終了した。九月十九日城内や士族屋敷へはいる門を午前四時ころに開けると各町内の屋体は一斉に入っていきます。通行行列は、定められた通り横町口から練り物・惣町の順で繰り出し、九町や城内を回っています。広小路では、午前六時頃から芸が始まりました。市宿町の屋体は、小笠原家家臣福与宗行の屋敷前で狂言を行っています。新町などは、広小路など決められた場所で芸を催しています。九月二十日江戸から来た役者は、渋江口、田中町、冨士宿町、横町の四か所で芸を披露しました。屋体の地役者は、新町、久保宿町、市宿町などで芸(地謡)を披露しています。各町内は、町ごとに練り物を出しました。九月二十一日練り物・屋体は、十九日の通り横町から練出し、城内や士族屋敷・九町を練り歩いています。御家中の人々は、各町へ新桟敷を出し、屋体芸をご覧になっています。九月二十二日午前八時ごろから御輿の通行、その後に市宿町などの屋体が続きました。狂言は、午前八時ごろから前場幸右衛門様前で四番、新町で三番、天王の前で三番、仲間三人の前で四番、番所前にて四番、彦右衛門前にて三番、九右衛門前にて三番、与一右衛門前にてはお奉行様の奥さまがおいでになっているので四番、組頭兵右衛門の所で昼食を食べたので一番、渋江田中同心町の前にて三番、御番所、奉行小山忠兵衛私宅などを回りました。笛吹きの源八は、午後十時ごろ帰宅の途についた。この時の謝礼は金壱分。九月二十三日祭礼が終了したので惣町の名主・組頭は、午前八時頃から林道御番所、寺社奉行様、三の丸、与力町、代官町、お目付け、同心町、光明院などへお礼のあいさつ回りを行っています。お奉行様からは名主・組頭・屋台に乗った人々へお礼が出されました。【文責・飯山実】
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