岩槻地方史研究会『古文書勉強会』では、岩槻区内に残る古文書や参加者の興味に沿った古文書を毎月読んできました。その中で一番最近読んだ古文書から江戸時代の岩槻を紹介します。慶応4年3月に書かれた古文書は「議定御請印連印帳(ぎじょうおうけいんれんいんちょう)」というタイトルが付けられたものです。慶応4年は9月8日に明治と改元されています。4月には江戸城が開城され、5月には上野で彰義隊が敗戦しています。この古文書は「話し合いで決めたことを守ります」と村人たちが押印した誓約書で、次のような内容が書かれています。近頃、村々には悪党が徘徊し、強盗をしたり、中には兵隊の格好をして官軍と偽る者もいるので、このような悪党から村を守るように村人は一致団結し、近隣の村々で助け合うよう取り決めをしています。この取り決めをしたのは、岩槻西組の内、本宿村・箕輪村・長左衛門新田・佐太夫新田・平林寺村・金重村・馬込村・下蓮田村・上蓮田村・川島村・掛ケ新田・江川新田・掛ケ村の13か村です。1人で賊の頭を討ち取った者には褒美として15両が、賊の一味を打ち取った者には10両が与えられました。今の価値に換算することは簡単ではありませんが、10両あれば一般的な農家は10年間生活できるぐらいの金額であったと考えてよいでしょう。一方で不幸にも討ち死にした場合には25両が残された家族に与えられました。江戸時代は現在のような警察はありません。自分たちの村は自分たちで守っていたのです。【文責・林貴文】
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