岩槻地方史研究会では、偶数月の土曜日午前中に神社や寺院の石造物や奉納絵馬などの調査をしています。現在は、岩槻の城と町を囲むお土居(大構)の上に鎮座する大工町(現在の本町3丁目)の愛宕神社さんの御協力を賜り境内地に造立されている石造物や奉納額・絵馬等の銘文や寸法の記録をしています。神社の由緒、故事来歴は別稿にお譲り致し、本稿では調査結果を報告いたします。本殿に上がる石段の右側に、ひときわ大きな記念碑があります。この碑正面に「日清戦役殉難記念碑」と記されており、日清戦争に関係する記念碑である事がわかります。この題字を書いた人は埼玉県知事山田春三さん、碑に文字を刻んだ石工は山田亀山さんと云うことが表面からはわかります。裏面をみると黒浜、粕壁、三箇、内牧、平野、平野、増林、柏崎、太田、潮止、新和、桜井、荻島、武里、百間、江面、鷲宮、内牧、久喜、八幡の各町村名が読み取れます。これらの町村は旧南埼玉郡の町村です。各町村から出征し、戦死した人や負傷した人の名前が町村別に刻まれています。この碑は、埼玉県南埼玉郡徴兵慰労会が明治35年3月に建設したものです。当時の岩槻町には、南埼玉郡郡役所があった関係で愛宕神社境内に造立されたといわれています。戦死した方のご冥福をお祈りします。石段の右側に、お参りするときには必ず口と手などを清めるときに使用する清水をためておく御手洗石があります。この御手洗石は、伊勢太々連(お伊勢様を信仰する人々の集まり。)の人々が、明治二十年六月ころ、岩槻の栗原石工に頼んで作成し、神社に奉納したことがわかります。奉納した人々の名前は、背面に刻まれてます。また、昭和五十年七月吉日にこの水舎を再建したことが記されている貴重なものです。今一度愛宕神社に歩を進めて記念碑等をお参りしていただければ幸いです。【飯山実】
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