屋号(やごう)は、家の通称で家名(いえな)、門名(かどな)、屋敷名(やしきな)ともいわれています。屋号は、屋敷のある場所の地形等に由来するもの、本家・分家や家の格を表しているもの、名前に由来するもの、家の特徴を示したもの、商売や職人の屋号などに分類されますが、城下町に居住した士族の家は「屋敷名」が通称となっていましたが、明治以降は絶えてしまいました。江戸時代は、武士以外の苗字は許されなかったことから屋号が広く用いられるようになりましたが、歌舞伎役者も屋号をもちいています。屋号と同時に家印も使用されています。江戸時代の屋号を調べる方法は、おじいさんやおばあさんに話を聞くこと、古文書を見ること、神社やお寺の石造物に彫られている銘文等をみることです。皆さんが歳の初めにお参りする宮町久伊豆神社の大鳥居をくぐると右側に明戸庚申様があります。この庚申様の左側に建つ一対の常夜灯竿の所に「伊勢太々講」造立年「嘉永元申年(一八四八)九月吉日」(写真参照)、右側の台石正面に「久保宿町八百屋喜八 大工町早川儀五郎 市宿町三ツ橋平蔵 同(市宿町)豆腐屋完次郎 久保宿町湊屋弥兵衛 旦過町松屋茂十郎」左側面に「久保宿町重次郎 蔵 渋江町吉五郎」とあり、左側の台石正面には「久保宿町綿屋惣右衛門 煙草屋清蔵 山田屋喜太郎 津国屋忠七 大工町田中已之吉 講元 久保宿町煙草屋伊兵衛 旦過町豊島屋亀吉」とあり、屋号により当時の商売人や居住地を知ることができます。また大工町や旦過町の表記が他の町と同じように使用されています。宮町久伊豆神社など市内の寺院の燈籠、常夜灯、記念碑等には奉納した年代や奉納者の名前・屋号、居住地が刻まれているので、当時の屋号等を探る貴重な史料です。区内の石造物を丹念に調べるとお店が何時頃からあるのか、また現在でもお店が続いていることを知ることができます。岩槻九町の神社や寺院にある石造物から屋号(複数あるものも一つとして掲げた。)をまとめると次のようになります。
【あ】泉屋、桶屋、伊勢屋、井筒屋、飴屋、油屋、石屋、和泉屋、大沢屋、梅屋、板屋、【か】鍵屋、鍛冶屋、京屋、刀屋、紺屋、柏屋、穀屋、紙屋、献上屋、神奈川屋、糀屋、米屋、笠屋、加々屋、小間物屋、久良屋、【さ】酒屋、堺屋、住吉屋、肴屋、素麺屋、正能屋、芝田屋、指物屋、質屋、杉屋、塩屋、材木屋、礦屋、亟志屋、【た】津国屋、畳屋、蕎麦屋、附木屋、大工、田中屋、煙草屋、道具屋、高橋屋、豆腐屋、豊島屋、足袋屋、塗師屋、【な】中屋、南部屋、鍋屋、中野屋、鍋屋、野口屋、【は】鮒屋、箒屋、箱屋、焼継屋、布袋屋、雛屋、箱屋、平野屋、広田屋、古着屋、篩屋、【ま】松本屋、宮屋、丸屋、餅屋、宮田屋、湊屋、松屋、森田屋、茗荷屋、百間屋、三河屋、湯屋、武蔵屋【や】山崎屋、八百屋、大和屋、万屋、山田屋、【わ】綿屋、若松屋、若狭屋、
以上の屋号を見ると、農村部の屋号とは異なることがわかります。【文責・飯山実】
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