岩槻資料館だより98  「95年目を迎えた旧岩槻警察署建物」

施工当時のの写真

岩槻郷土資料館は、昭和五年(1930)に竣工した旧岩槻警察署の建物を利用して、昭和五七年に開館したものです。
この建物は令和七年八月に九五年目を迎えることになりました。
昭和五年八月二十八日の落成式当日には東京朝日新聞が『県下一モダン警察』と大きな見出しをつけ報道しています。
昭和六十年に発行された『埼玉県大正建造物緊急調査報告書』の中には、「合理主義様式を基調としながら細部にアールデコを施した昭和初期の面影を良く備えた建物である。」と評価されています。
建物の外観は四角く、装飾性がほとんど見られませんが、建物内部に独特の装飾などがみられます。
現在の展示室になっている事務室には丸柱や天井のアーチ、入り口左側の応接室のドアのガラス部分には金属による花の文様が付けられるなど、装飾性に富んでいることがわかります。

塔屋三階の丸窓

また二階やバルコニーへの出口部分などにアーチ窓が見られ、屋上の庇や丸窓部分にアールデコ様式が見られます。
丸窓は直線を十字に組み合わせていますが、少しずらすなどモダンなデザインになっています。
総工費の三一五〇〇円は現在の金額にすると約一億四千万円から一億五千万円ほどになると考えられます。
昭和初期の金融恐慌などによる不況の中、かなりの金額をかけてこの建物は建築されました。
この理由の一つに関東大震災が考えられます。
関東大震災は大正一二年九月一日、神奈川県西部を震源として発生した地震で、南関東地方を中心に大きな被害をもたらしました。
東京市内では下町を中心に大きな被害があり、これは狭い地域に可燃性のある住宅密集が原因として、焼け跡の区画整理を実施し、昭和三年完成しました。
本所区、浅草区など下町地域の小学校は、一九六校中一一七校が焼失するという被害を受けています。
そこで、建設費を東京市が負担し、耐震耐火構造をもつ鉄筋コンクリート造りで建築することになりました。
大正一三年度から五か年継続事業で進められ、後に一年間延長されました。
こうして建築された小学校は復興小学校と呼ばれ、現在も当時の姿を残した小学校も見ることができます。
岩槻警察署も、こうした復興小学校と同じような考え方が基本にあったものではないでしょうか。
九月一七日~一〇月一九日まで、「昭和レトロをみてみよう」と、当時の様子や現在も残る復興小学校などの建物の写真、関東大震災の様子などを交えて展示を行う予定です。

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