今回からは、岩槻郷土資料館に展示している資料について紹介していきます。資料館を入ってすぐの部屋に岩槻城の模型があります。この模型は江戸時代に描かれた十数枚の絵図を参考にして、江戸時代の岩槻城の姿を再現したものです。絵図に描かれた建物の配置・曲輪・城を取り巻く沼などを地形図にあわせて、千分の一の縮尺で作られています。岩槻城は北東にのびる舌状台地を利用し、東から北側に元荒川が流れ、城の周囲を囲む沼など自然の要害であったことがわかります。城の主要な部分は、現在の本丸三丁目付近に本丸があり、その周囲を二の丸、三の丸などが囲んでいます。城というとすぐに連想される天守閣や石垣などはもたなかったようです。現在桜の名所となっている岩槻城址公園は城の主要部分の南側にあたります。これは、天正十八年(一五九〇)豊臣秀吉の小田原攻めにあたり、豊臣方に対抗するためにつくられたといわれる新曲輪・鍛冶曲輪の部分です。発掘調査の結果、堀障子(ほりしょうじ)と呼ばれる小田原北条氏の影響のもとでつくられた城に多く見られる特徴的な堀の形態が見られました。現在、本丸など岩槻城の主要な部分は宅地化され、その面影を残していませんが、この模型から江戸時代の岩槻城の様子をしのんでいただけたらと思います。学芸員 小倉 均
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