「岩槻に過ぎたるものが二つある、児玉南柯と時の鐘」といわれるように「児玉南柯」は、岩槻を代表する人物です。児玉南柯は、岩槻藩の優れた儒学者で、本町四丁目にある「遷喬館」の創設者です。「遷喬館」は、寛政十一年(一七九九)、南柯の私塾として創設され、後に岩槻藩の藩校となり、藩士子弟の教育の場となりました。資料館には児玉南柯や遷喬館に関わる資料が多く所蔵されています。このうち、「遷喬館会約」(レプリカ)、「勤学書院」の扁額、「遷喬館扁額」、「児玉南柯自画像」(レプリカ)、児玉南柯の著作の一部、児玉南柯遺品(さいたま市指定文化財)の一部などを常設で展示しています。「遷喬館会約」は、遷喬館での教育の目標や勉学の心得とされたもので、創設時に児玉南柯が作ったものです。「勤学書院」の扁額は藩校となり勤学所と名称が改められた際、児玉南柯が揮毫したものです。これは、南柯がなくなる前年の文政十一年に描かれたことがわかります。「遷喬館」の扁額は遷喬館が設立された際、加納久慎(ひさちか)が自ら筆を執ったものです。久慎の父久周は岩槻藩二代藩主大岡忠喜の弟で加納家に養子に入っています。久慎は父と共に遷喬館や児玉南柯を援助しました。「児玉南柯自画像」は、南柯八十二歳の自画像と伝わり、琴の前に座る姿を描き、上部に歌が記されています。岩槻郷土資料館で、こうした資料をご覧いただき、遷喬館にも足をお運びいただきたいと思います。 学芸員 小倉 均
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