今回紹介する土器は、南遺跡から発見された弥生時代中期の壺形土器です。この土器は、高さ六五センチメートルをこえる細頸の壺形土器で、口縁部が開き、やや太めの長い頸部からふくらみをもつ胴部へと移っていく器形をしています。文様は全体に縄文を施文した後、棒状の工具によって、三角形や四角形を描き、ドーナツ状の貼付けを口縁部や胴部に施しています。こうした文様や器形などからこの土器は、千葉県市川市の須和田遺跡から発見された土器を基準に名付けられた弥生時代中期前半の「須和田式土器」と呼ばれるものと考えられます。この須和田式土器は、埼玉県内では発見される例が少なく、またこのような器形や文様など全体を知ることのできるものも少ないため大変貴重な資料と言えます。この土器が発見された南遺跡は東岩槻駅の北約六五〇メートル、岩槻区大字表慈恩寺字南付近に広がる縄文時代から古墳時代の遺跡です。昭和四〇年三月、昭和四三年八月の二回、発掘調査が行われました。その結果、縄文時代前期の住居跡や同時期の貝塚、弥生時代中期前半と思われる土坑などが発見されました。なお、この土器が発見された昭和四〇年の発掘調査の図面や遺物などを保管していた場所が火災にあってしまいました。そのため、当時の資料を焼失してしまい、遺跡の詳細が明らかにできなくなってしまったことは残念なことです。
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