今回紹介する埴輪は、岩槻区本町五丁目の浄安寺の境内から出土したものです。出土した地点は北側の墓地からで、ここに古墳が存在していたことがわかります。しかし、古墳の形態などを示す記録やその存在を示す伝承などもなく、古墳の詳細は明らかではありません。かなり古くに壊滅していたものと考えられます。この埴輪は、人物を表した人物埴輪です。肩から下の胴体と台の部分が残るのみで、頭部と腕が欠損しており、全容は不明です。衣服の表現は見られませんが、腰帯を前方で結び、ハの字状に垂らしていることがわかります。腰帯の下側が広がるようになっているところからスカート状に広がる衣服を着用していることも考えられます。肩から腕の部分の一部が残りますが、腕をどのようにしていたかはわかりません。下半の円筒部分は、全体的に細かい刷毛目(ハケメ)状の整形痕が見られ、二本の突帯が付けられています。円筒部分の両側には、四×五㎝ほどの孔が二か所あけられています。さいたま市内の古墳は、西部の荒川や鴨川沿岸に多く、東部の岩槻周辺は現在、ほとんど見られません。浄安寺の西側にあたる竹たば遺跡から古墳の跡が見つかっており、この周辺にかつては古墳が所在していたものと思われます。また見沼区東宮下からは人物埴輪が発見されており、埴輪をもつ古墳がさいたま市東部地区にも存在していたようで、市内の古墳文化を考える上ではこの人物埴輪は貴重なものといえます。【学芸員 小倉 均】
この記事へのコメントはありません。
この記事へのトラックバックはありません。
Δ
曼殊沙華に誘われて 篠岡八幡神社で見た光景
高齢者の介護や医療 病院との連携も視野に
トップページに戻る
移動済み情報記事一覧へ
Copyright © WEB ら・みやび 岩槻 All rights reserved.
この記事へのコメントはありません。