法華寺は岩槻区飯塚にある臨済宗の寺院で、鎌倉円覚寺の末寺、寺伝では平安時代に創建されたといわれています。法華寺には350点程の文書が残されており、中世に関連する文書など九点が昭和41年3月8日に埼玉県指定文化財になっています。この県指定文化財のうち「元弘の変」の後にだされた「後醍醐天皇綸旨(りんじ)」は、埼玉県内でもこの一通しか残っていない貴重なものです。原資料は県立文書館に寄託されているため、岩槻郷土資料館ではこの資料を写真パネルで展示しています。元弘3(1333)年6月、後醍醐天皇は、足利尊氏、新田義貞などの力を得て、鎌倉幕府を倒し、天皇親政による「建武新政」を開始しました。この時、政治機構の整備や安定を図るため、全国の寺社や武士の所領安堵を示しました。法華寺では元弘3年12月12日、後醍醐天皇の綸旨が発せられ、所領安堵が申し渡されました。綸旨(りんじ)は、天皇の側近にあたる蔵人が天皇の意向を取り次ぐ形で作成された奉書形式の文書で、簡便な手続きで発行されたものです。綸旨は「宿紙」と呼ばれる使用済みの紙を漉き返した再生紙を使用としたため、色が黒味を帯びており、「薄墨の綸旨」といわれることもあります。法華寺の文書の中には、法華寺に綸旨が出されたにもかかわらず所領が押領された訴えに対し、建武元(1334)年2月、足利尊氏が家臣上杉重能に命じ、寺領を安堵した文書なども残されています。
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