岩槻郷土資料館では、2020年1月26二六日(土)まで、「掘りおこされたさいたまの歴史~縄文から中世の出土品を訪ねて~」と題し、最近さいたま市内の発掘調査で話題になった遺跡の出土品を展示しています。主な展示資料は前号でも紹介したように真福寺貝塚(岩槻区)、貝崎貝塚(見沼区)、与野西遺跡(中央区)、神田作田遺跡(桜区)などからの出土品です。今回は、和同開珎が発見された「与野西遺跡」について紹介したいと思います。与野西遺跡は、埼京線与野本町駅の北東約〇・八㎞、さいたま市中央区桜丘一丁目に所在する遺跡です。平成三一年三月から分譲住宅建設に伴って発掘調査が行われました。その結果、奈良時代から平安時代にかけての住居跡一四基、掘立柱建物跡一基などが発見されました。「和同開珎」は住居跡の一基から二枚発見されたものです。「和同開珎」は、武蔵国秩父郡(現在の埼玉県秩父市付近)から自然銅が発見され、朝廷に献上されたことから造られたといわれています。全国では七八〇ヶ所ほどの遺跡から発見され、埼玉県では県北部、中西部の七遺跡から発見されていました。今回の資料は県南部で初めての発見例となりました。遺跡の周辺からは蔵骨器や瓦などの特徴的な遺物が発見されており、古代の中心的であったと考えられる桜区の大久保地区に近く、それらとの関連が考えられ、今後の研究が待たれるところです。こうしたさいたま市内からの出土品を通し、原始古代のさいたま市の様子や市内各地の遺跡について知っていただき、地中に眠っていたさいたま市の歴史をみていただきたいと思います。
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