今回紹介する土器は、岩槻区西原に所在する西原遺跡から発見された弥生時代の壺形土器です。この土器は、平成六年に行われた発掘調査の際に弥生時代終末の住居跡から出土したものです。口縁部を欠いていますが、胴部はやや扁平な球形をし、その最大径は二二センチ程になります。全体をよく磨いており、滑沢をもっています。肩の部分に網目状撚糸文と呼ばれる縄による文様が付けられ、この部分以外は赤く塗られていたようです。土器の中程から下半にかけて黒くなっている部分に菱形の痕跡が見られます。これは、土器を包んだ籠の跡と考えられます。幅五ミリ程の竹ひごなどを四五度斜めにして、一本ごとに交差させて編んだものです。普通に縦横に交差させ編んだものに比べ、強度は高くなるようで、現在みられる竹籠の中にも収穫した野菜などを入れる籠や炭を入れる籠にこの編み方は使われています。こうした籠の痕跡を残す土器はさいたま市内でも緑区松木遺跡の壺形土器などいくつかみることができます。この土器が発見された西原遺跡は、岩槻駅の西約七〇〇メートルの並木二丁目、西原、西原台二丁目付近に広がる遺跡です。昭和四五年に東北自動車道建設によって大規模な発掘調査が行われ、縄文時代中期、弥生時代中・後期を中心とした集落跡が発見されました。この住居跡もこの集落の中の一軒であったと考えられます。発掘調査などで発見される遺物は土器や石器などがほとんどですが、この土器は竹などで作ったと思われる道具の痕跡から、当時籠があったことや土器が籠に包まれていたことなどを知ることができた貴重な資料といえます。
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