現在、岩槻城址公園に所在する「岩槻城城門」は、桁行一三・〇m、梁間約三・七mの寄棟造の長屋門です。昭和三三年二月二一日に岩槻市(当時)の有形文化財(建造物)に指定され、保存の措置がとられました。またこの門は、「黒門」という名称で親しまれてきました。明治時代になり、岩槻城が廃城になった後、岩槻城の建物の多くは県官舎の建築資材として解体され、また入札を行い一般に払い下げられ移築などがされていきました。この門も城内から浦和に移築され、県庁や県知事公舎の正門として利用されました。そのため、城内での元の位置は不明で、三の丸内にあった藩主居宅の門であった可能性が高いといわれています。昭和二九年、県庁新築により、岩槻市に払い下げられ、市役所西側の通用門として利用されました。その後、市役所増築に伴い、昭和四五年に岩槻城址公園に再移築され、現在に至っています。岩槻郷土資料館で展示している図面は、縦四八・五㎝、横七一・〇㎝、正面図、背面図、平面図、左右の側面図を一枚の図面上に記しています。建物細部まで丁寧に描かれ、全体的に現在の黒門と意匠などがよく似ており、昭和四九年に岩槻城址公園へ移築の際につくられた図面と思われます。図面上には各部の寸法が細かく記入され、それからみると縮尺はおよそ五〇分の一と思われます。この図面は、現在地へ再移転する際につくられたものと思われますが、岩槻城の姿を残す数少ない建物の詳細を知ることのできる貴重なものといえます。
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