岩槻城跡から出土する戦国時代頃のやきものを見ると、地元や周辺部で生産されたと思われるもの、大きな窯で生産され、全国的に流通されたもの、また海外で生産されたものがあります。地元や周辺部で生産されたと思われるものは、無釉の土師質や瓦質などのやきもので、生活の中心的な役割を果たしていたようです。以前に紹介した儀礼や儀式で用いられ、一度の使用で廃棄されたといわれている「かわらけ」もここに含まれます。大きな窯で生産されたものとしては、愛知県瀬戸市周辺で焼かれた瀬戸焼、愛知県常滑市周辺で焼かれた常滑焼などを見ることができます。これらは東日本を中心に広く全国的に流通していたようで、各地の遺跡から出土しています。瀬戸焼は中世ではわが国で唯一の施釉陶器で、中国産の磁器を模倣したものも多く見られます。四耳壺や瓶子といった貯蔵用のものから碗や皿など食膳具として使われるものも多く生産されました。中国から伝わった茶の湯の風習が武士階級に浸透してくると、天目茶碗・茶入れ・香炉など茶に関連する器も見られるようになってきます。海外で生産されたものとしては、中国のやきものがあります。岩槻城の多くの地点で、白磁の皿、染付の皿・碗・坏、四耳壺などが出土しており、中国産の陶磁器が盛んに岩槻城にもたらされていたようです。このように日本国内のやきものの生産地からだけでなく、中国など国外からのものも運ばれ、広い世界との交流の中に、戦国時代の岩槻城があったことが分かります。
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