今回紹介する資料は、「岩槻市街図」です。この市街図は、大正六年(一九一七)に実測されたもので、縮尺五千分の一となっています。縦五九・五㎝、横四五・五㎝あり、現在は軸装となっています。紙面の関係か東を上にして当時の岩槻市街を表しています。市街図の上部に岩槻城跡は描かれ、現在のさいたま春日部線が中央に見られ、数件の家があるようですが、周囲の堀なども含め、城全体の形状はよく残されています。新曲輪や鍛冶曲輪は山林となっています。岩槻の街を取り囲む大構や堀もよく残されていたことが分かります。また市街図の右下から左側に向って武州鉄道が描かれています。武州鉄道は大正一三年(一九二四)蓮田岩槻間が開通し、営業が始まりましたが、すでに大正元年一二月に岩槻で地鎮祭・起工式を行い工事が着手されていました。市街図の現在岩槻中・太田小のあるあたりに岩槻駅が見られます。「中央線岩槻停車場敷地」とあり、ホームなど駅の様子が描かれています。駅から延びている線路部分には「中央線用地」「工事中」と記されており、工事が行われていたことが分かります。会社名が「中央鉄道株式会社」であったことから「中央線」と記されたものでしょう。郷土資料館のある場所には「驚(警)察本署」、「署長官舎」と記されています。現在、郷土資料館に使っている建物が昭和五年(一九三〇)の建築ですので、その前の建物がここにあったことになります。この他、右下に「大宮町」「粕壁町」の市街図の概略が二万分の一で表されています。この市街図は、三月九日から五月五日までさいたま市立博物館で開催される企画展「さいたま八景」の中で展示されます。
この記事へのコメントはありません。
この記事へのトラックバックはありません。
Δ
岩槻九町について㉚ 「岩槻九町の区政」
市販のキットを使って 自信をつけよう!!
トップページに戻る
移動済み情報記事一覧へ
Copyright © WEB ら・みやび 岩槻 All rights reserved.
この記事へのコメントはありません。