大字村国にある「渋江鋳金(しぶえちゅうきん)遺跡」は、元荒川を望む台地上にある遺跡です。これまでに行われた数回の発掘調査の成果や江戸時代の記録などから中世から近世に活動した「渋江鋳物師」の工房の跡と考えられています。また、それを示すかのようにこの付近には「鋳物屋敷」という小字名も残っています。鋳物生産を行うには、原料の金属を高温で溶かし、それを鋳型に流し込んで製品を作ります。この「渋江鋳金遺跡」からも、原料を溶かす炉や鋳型などの鋳物関連の道具などがたくさん出土します。岩槻郷土資料館で展示している「鋳物の炉」は、平成二年度に発掘調査が行われた第二地点で、戦国時代と考えられる井戸から出土したものです。この井戸からは、羽口や比較的大型の鉄滓などとともに、カラスガイ、タニシなどの貝が出土しています。平成一二年度に発掘調査行われた第五地点の堀からも羽口や大型の炉壁片とともに淡水産の貝が出土しており、この貝が鋳物生産時の触媒として使用されたことも想定され、食料としてだけでなく、鋳物や鉄の生産に関わるものの可能性も考えられています。この渋江で製作されたものとしては、区内長宮にある大光寺と日高市にある聖天院の鰐口二点が知られています。大光寺の鰐口(さいたま市指定文化財)には文明六年(一四七四)銘があり、銘文の中に「渋江住泰次」とあります。また日高市聖天院の鰐口(埼玉県指定文化財)には応仁二年(一四六八)銘があり、銘文の中に「渋江満五郎」とあり、いずれも「渋江」の地名が刻まれています。「渋江鋳金遺跡」は、昭和二三年三月一七日に埼玉県の史跡に指定され、昭和三六年九月一日に埼玉県指定旧跡に種別変更になりました。鋳物師については、戦国時代岩槻城主によって保護がなされたようで、諸税を免除する文書などが発給されたようです。
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