平成二九年に行われた岩槻藩の最後の藩主であった大岡家菩提寺である東京都港区湖雲寺の発掘調査では、大岡家歴代藩主や妻子の墓所の位置が明らかにされました。これまで大岡家の墓所は関東大震災や戦災などによって、明確な位置は不明となっていました。今回の発掘調査では位置を確認しただけでなく、過去の記録などからそれぞれの被葬者を特定し、その内容も明らかにすることができ、貴重な発見となりました。今回、岩槻郷土資料館では、この「大岡家の墓所からの出土品」を2019年10月12日(土)から11月24日(日)まで展示することになりました。湖雲寺は祥永山の山号をもつ曹洞宗の寺院で、もとは四谷仲殿町(現在の新宿区四谷一丁目)にありました。享保年間の火災を機に江戸麻布谷町(現在の東京都港区六本木四丁目)に移ったものです。大岡家は忠光の三代前の忠房の代から菩提寺としており、忠光を除く歴代の当主や妻子の墓所となっていたようです。本堂に安置されていた木造地蔵菩薩立像は弘法大師作といわれ、寛政二年(一七九〇)大岡忠光の奥方から納められたものという記録があります。今回は、八〇点程の出土品の他、関連する資料も展示していきます。主な資料では、石の趣味が深く、銘石を集めていた大岡忠固の墓所からは木製の台とともに、飾り石があります。これは、蒐集していた銘石の一つであったと思われます。また古墳時代と考えられる勾玉や金環などもありました。岩槻城北側の竹ばた曲輪や浄安寺境内には古墳が存在しており、こうした古墳からの出土品であれば、非常に興味深いものです。この他、子供たちの墓所からは、小型のがらがら、土鈴、鳩笛などの玩具、孔子、親子猿、座り坊主、狆抱き坊主などの人形、小型の銅製の茶釜、手鍋、羽釜や京焼の皿、擂鉢、土瓶、鉢、把手付などの器物が見られました。幼くして亡くなった子どもたちに対する思いやりなどが見られるように思えます。今回の展示では、こうした墓所からの出土品をとおして、そこに込められた様々な思いなどを見ていただければと思います。
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