埼玉県は平安時代の終わりから鎌倉時代に活躍した武蔵武士たちの本拠であり、その後、戦国時代には争乱の中で各地に城や館などが築かれました。昭和五八年度から行われた県内の中世城館跡の悉皆調査では六七九ヶ所が確認されました。史料や記録などにみられものも多く、その実態について不明な点も多くありますが、発掘調査によって、その内容が徐々に判明してきています。岩槻郷土資料館では、平成三〇年度から「埼玉の中世城館跡を考える」という講座を行い、埼玉県内の城館跡を文化財担当者や研究者の方々に紹介していただいています。今回、一二月一二日(日)まで、「岩槻周辺の城を探る」と題し、これまで講座でとりあげた北本市石戸城や今年度予定している川口市戸塚城、吉見町松山城など五つの城館跡について各教育委員会や資料館などの協力を得て出土品を中心に展示していきます。展示資料をいくつか紹介すると、北本市石戸城から見つかった一四世紀初頭の古瀬戸の瓶子は割れた状態で見つかったものです。一部石膏での補強もありますが、全体が復元され、復元後初めての展示となります。陶磁器は大部分割れて、小さな破片になっていますが、国内産だけでなく、中国や朝鮮半島からもたらされたものも見られます。松山城や戸塚城には中国製白磁や青磁があります。当時の勢力分布との関わりが考えられるかわらけは各城館跡のものを展示します。また、戦乱の時代を象徴するような鉄砲玉や鉄鏃は戸塚城から見つかったものを展示します。鉄砲玉は径一一㎜程の三匁玉と呼ばれる一般的な大きさのもののようです。
岩槻郷土資料館では、今後も埼玉県内に残る中世城館跡を、講座や展示を通し、皆さんに紹介していき、岩槻城との関わりなど考えていきたいと思っています。
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