岩槻郷土資料館の前を東西に通る道はかつての「日光御成道」で、将軍が日光社参の際に使われたものです。江戸から川口、大門(緑区)を経て、岩槻の町に入り、市宿、久保宿を通り、現在の渋江の交差点で北に折れ、栗橋方面に向かっていました。明治時代になり、岩槻城が廃城になるとこの道は現在の渋江の交差点のところから本丸、二の丸、三の丸と城を貫通するようにまっすぐ春日部方面に開設されました。この道路はかつて、国道一六号線の本道でしたが、バイパスが南側につくられたため県道となり、現在では「主要地方道さいたま春日部線」となっています。この道路が、元荒川を通るところに架けられた橋が「岩槻橋」です。その西側手前を流れていた水路に架けてあったのが「太田橋」です。この太田橋の親柱は、橋の近くに置かれたような状態でしたが、道路改良工事などが行われ、現在の場所に置けなくなり、今年三月に岩槻郷土資料館に移設しました。親柱は二本あり、多少傷がみられますが、いずれも高さ約一m二〇㎝、幅約三〇㎝の四角柱で上部を面取りしたようになっています。これに幅約六五㎝、高さ約三五㎝の台座が付きます。一つには「太田橋」と太く力強い文字が刻まれています。もう一つには「大正十三年五月竣工」と刻まれており、この橋が作られた時期を知ることができます。その後、昭和一六年(一九四一年)に石橋が架け替えられたようで、その際に撤去され、橋近くに置かれていたものと考えられます。この「太田橋親柱」は、資料館駐車場の国登録有形文化財である「旧岩槻警察署掲示板」の南側に設置し、説明板を作りました。岩槻郷土資料館を見学の際には掲示板とあわせてご覧ください。
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