令和五年十二月、岩槻区相野原の墓地に所在していた板碑を所有者の方が、岩槻郷土資料館に寄贈されました。
今回はその板碑について紹介いたします。
今回寄贈を受けた板碑は一〇基で、すべてほぼ完全な形を示しています。
いずれも蓮座の上に阿弥陀如来を表す梵字「キリーク」を刻む「阿弥陀一尊」を示します。
大きさは最も大きいもので、八一・四㎝、小さいもので五四・三㎝ですが、七〇~七五㎝程の同じような大きさを示しています。
造立された年代は、文保元年(一三一七)から応安七年(一三七四)、鎌倉時代の終わり頃から南北朝時代にかけての年号がみられます。
このうち、暦応三年銘のものが二基、貞和三年銘のものが三基と同じ年号をもつものや貞和三年と七年、応安四年と七年といった近い年号をもつものが多くみられます。
こうした大きさや造立の年代などからみて特徴的な板碑群であるといえます。
岩槻区の板碑は、昭和四〇年代から調査が郷土史家の方によってすすめられ、昭和五六年に行われた埼玉県教育委員会による県内の悉皆調査、さらに昭和五九年に刊行された「岩槻市史 金石史料編Ⅰ 中世史料」に係る調査によって、七六六基の板碑が確認されました。
これまで知られていなかった板碑が発見された半面、所在が確認できなかったものもありました。
さらに平成三年には、岩槻市教育委員会によって新たに確認されたものや、岩槻城から発掘調査によって発見された板碑一七九基が加えられ、岩槻区の板碑は、九四五基となりました。
今回寄贈された板碑は、平成三年の調査を受け刊行された「岩槻市の板碑」ー「岩槻市史金石史料編」補遺ーの中に掲載されたものです。
個人の墓地に所在していたことから、これまでの調査で見落とされていたものと考えられます。
板碑は史料の少ない中世を知る貴重な史料といえます。
今後、機会をみて、これらの板碑を展示していきたいと思います。
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