岩槻郷土資料館だより94 「岩槻領傍示杭」と「旧川通村道路元標」

旧岩槻警察署掲示板
岩槻郷土資料館、南側の駐車場には、「旧岩槻警察署掲示板」があります。
これは資料館の正面玄関前にかつてあったものですが、平成二一年(二〇〇九)に資料館前の市宿通りの拡幅工事によって、移設したものです。
平成二八年(二〇一六)には、資料館の建物と共に国の登録有形文化財になりました。
また、その南側には県道大宮粕壁線の元荒川西側の水路にかけられていた「旧太田橋親柱」も令和三年(二〇二一)に移築し、見学できるようにしてあります。
今回、この場所に新たに「岩槻領傍示杭」と「旧川通村道路元標」の二つの石柱が加わることになりましたので、紹介していきます。

岩槻領傍示杭
「岩槻領傍示杭」は、全高二〇三㎝、幅二一㎝の角柱で、「従是北岩槻領」と彫られています。
傍示杭は、領地や宿場などの境界を示すために建てられた標識です。
この傍示杭は、岩槻藩領の南端を示すものです。
江戸時代の日光御成道を「日光御成道分間延絵図」には、今の綾瀬川を渡る橋付近に杭が建てられている様子が描かれています。
これがこの杭を示すものと考えられています。
ここから明治以降に移築され、令和六年(二〇二四)から郷土資料館に保存していました。
「旧川通村道路元標」は、現在の岩槻区の南東部にあたる川通村に設置されていたものです。
全高九三㎝、二三×二〇㎝の角柱で、頭部がやや丸く作られています。
大正八年(一九一九)に定められた「道路法施行令」によって、各市町村に一基ずつ設置することが決められた標識です。

旧川通村道路元標
この道路元標は、現在のJA南彩川通支店のある場所にあった「川通村役場」前に設置されていたものです 。
昭和二九年(一九五四)に川通村が岩槻市と合併されたため、不要となったものです。
その後、旧岩槻市で保管され、令和五年(二〇二三)から岩槻郷土資料館で保存していました。
説明板も一緒に設置しましたので、資料館にお越しの際は、駐車場でこれらをご覧いただきたいと思っています。
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