岩槻郷土資料館では令和五年一月一五日まで、「真福寺貝塚~今とこれから」と題した企画展を行っています。この企画展では、国指定史跡である「真福寺貝塚」の現状や近年の史跡整備に伴う調査の成果を展示しています。また、近隣の国指定史跡である富士見市水子貝塚、蓮田市黒浜貝塚、春日部市神明貝塚の出土品や史跡整備の状況を展示し、真福寺貝塚の今とこれからの姿を紹介しています。今回は、この展示の中から「土製耳飾り」を紹介していきます。土製耳飾りは、環状や臼形、滑車のような形をしており、その形から「環状耳飾り」「臼形耳飾り」「滑車形耳飾り」などとも呼ばれています。縄文時代の中期頃からみられますが、後期の後半から終わり頃になるとたくさんみられるようになり、一つの遺跡から数百点もの耳飾りがみつかることもあります。さいたま市内の遺跡では真福寺貝塚の他、緑区の馬場小室山遺跡、見沼区の小深作遺跡、東北原遺跡、北区の奈良瀬戸遺跡などでみつかっています。大きさは、直径一㎝程のものから一〇㎝近くなるものもみられます。一般には三~四㎝程のものが多いようです。全体的によく磨かれたような状態のものが多く、文様をもたないものともつものがあります。文様をもつものは沈線や刻み、刺突文などによって文様を描き、粘土を瘤状に貼りつけ突起をもつものなどがあります。中には、透彫りを施し、赤い顔料を塗られ、精巧につくられたものもあります。こうした土製の耳飾りは耳たぶに穴をあけて、そこにはめ込んだものといわれています。はじめは小さいものを使い、徐々に大きなものへと変えていったと考えられています。前々回のこのコーナーでも記しましたが、ミミヅク土偶の顔の両側にみられる円形の表現は、裏側も円形や渦巻き状の表現があり、この耳飾りをつけた状態を表していると考えられています。(写真左)桶川市後谷遺跡からみつかったミミズク土偶は、耳のところに細い木の棒がさされており、耳飾りを付けた状態を表しているようにもみえます。今回は、一一点の土製耳飾りを展示しました。こうした耳飾りから、縄文人たちのファッションの一つをみていただけたらと思っています。
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