岩 槻 郷 土 資 料 館 だ よ り №86 「岩槻の力石(拓本)」

鉤上神明社力石(拓本)

「力石」は、力試しや体力を養うことに使われた石です。江戸時代ごろから各地で力試しが行われ、神社の境内など人が集まり、まつりなどの際に力試しが行われ、奉納されたところに置かれていたようです。
力石は表面に凹凸がない楕円形の石が使われ、重さは二〇~三〇貫ほどが用いられたようです。
表面には切付と呼ばれる文字が刻まれ、年号や重量などが示されています。

岩槻郷土資料館では、昭和四七年刊行の「岩槻の金石文」と昭和五九年刊行の「岩槻市史 金石史料編」をもとに平成一〇年、調査を行いました。この時には、力石の所在調査を行い、写真撮影、拓本をとり、文字の確認・解読を行うとともに、重さの計測を行いました。そしてこれらをもとに、「岩槻の力石」という展示を平成一一年三月から五月に行いました。この展示では、新たに発見された五点を含め、四九点の力石を紹介しました。

岩槻の力石は、文字がきざまれたものが五四ヶ所で一〇六点が確認されましたが、それまでの調査で確認できていたものが失われていたものもあったようです。
最も古いものは元禄一三年(一七〇〇)のもので、全国的にみてこの時期の力石は少なく貴重な資料です。

また、調査では、三四点の資料の重量を計量しました。
力石は重さが重要な資料ですが、これまでほとんど重量の計測が行われていなかったようで、この時の調査の大きな成果であったといえるでしょう。
計測した力石の重量を見ると、力石に刻まれた重量と実際の重量の差が五%以内のものは三四点中八点で、大部分は一〇%以上の誤差がみられたようです。
中には「五八貫(約二一七・五㎏)」と刻まれたものが一〇〇・八㎏であり、実際の重量が半分以下のものもあったようです。

三ノ宮卯之助と刻まれた部分

幕末に岩槻領三野宮村(現在の越谷市三野宮)出身で、全国で力自慢の見世物を興行した「三ノ宮卯之助」や卯之助一座で卯之助同様力持として活躍した岩槻領長宮村(現在の岩槻区長宮)出身の「肥田文八」の名を刻んだ力石もみられました。

現在、郷土資料館では、平成一〇年に行った調査の際にとった拓本を束ねて、資料館一階の情報コーナーに展示しています。

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