戦争の記憶が残る貴重な「いろは歌留多」⑱

 藤川公成氏がシベリア抑留の様子を『いろは加留多』として、昭和55年1月に記した、新旧2本を同じ頭文字のカルタを新(カラー)、旧(白黒)
の対比した形で連載しています。
紙面掲載への経緯は弊紙654と655号で既に掲載されていますので割愛します。


【あ】空きめくらの夜盲症

作業隊とオーカー隊の区別がつかぬほど、兵は皆疲れてもの憂く動いていた。
栄養失調の副作用で夜盲症がはんらんしてきた。
労働ではない文化部の仕事でありながら、私も一時この夜盲症つまり「とり目」にやられ泣かされた。
夜勤の坑内作業者の中にも出たが、ソ連軍医は病気と認めなかった。
夜、トイレ銀座といわれる庭を、カンたよりによろめき、虚空をつかみつつさまよう姿は、幽鬼かと思われる肌寒さに襲われたものである。

- アナーター! 神さま 仏さーま

露天掘の作業場で、マダムがひときわ大きい声で叫んだ。「アナーター」声は怒っている。
すると小柄な年輩兵が「オー!」と答えて笑い顔で行った。
「俺の名はアナタ」と教えていたのだ。これは妙案と「カミサーマ﹂」ホトケサーマ﹂が出現した。
怒声であるだけに甚だ珍妙で心がなごんだ。

 


【さ】さらばバレイはいつの日か

「ダモイ・トウキョウ」という言葉が耳に入りはじめたのは、二十一年の夏頃からであった。
誰もが全身を耳にして警戒兵、将校、現場監督、地方人から情報を得ようとし噂は噂を呼んだが、いつか消えてしまった。
オルグが言った「日本政府は君等の帰国を歓迎していないそうだ。
なにして、生きて捕虜の辱かしめを受けているからな」と。
十一月中旬私達五百名はバイレを去ったが、間もなく残留者も出発し収容所は閉鎖された。

- 三三九工兵隊はサランナ伐採へ

 三三九部隊は工兵隊で、内薗伝四郎第一中隊は関東軍司令部の豪堀作業中に終戦を迎え、合流していたが、最初の伐採隊としてサランナに移駐していた。
成田隆少尉・内薗隊長とも病死され柱を失っている。
しかし「三三九の会」は丸井大陸氏を会長として、毎年全国大会を盛大に挙行してる。

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