戦争の記憶 が残る貴重な 「いろは 歌留多」④

 藤川公成氏がシベリア抑留の様子を『いろは加留多』として、昭和55年1月に記した、新旧2本を同じ頭文字のカルタを新(カラー)、旧(白黒)の対比した形で連載しています。紙面掲載への経緯は弊紙654と655号で既に掲載されていますので割愛します。


旧版文字起こし「と」「ち」「り」

【と】盗られ奪われまるハダカ
- 集団的に奪われても、それぞれの才覚を働かして自衛手段を講じた。時計、万年筆、鉛筆、歯磨粉等こまごました日常品を隠し持った。
これらは重要な交換用品であるから、隠すことは命をつなぐ戦いでもあった。
無知な掠奪者はカメラからフィルムを抜き取り、写ってないと怒った。
時計が動かなくなったと捨てて次を狙った。
竜頭を捲くことさえ知らないのだ。
そんな相手だから幸せだったのかもしれぬ。この戦いも間もなく敗れた。

逃亡者二名に逮捕者四名
シベリアから逃亡脱出できると信じた者達がいた。
「満州まで陸続きじゃないか」という。
遂に二名の脱出者が出た。
実は入ソ直前の黒河で二名の逃亡者があり、毎日員数合わせで苦労していたので、本部は四名脱出と報告した。
逮捕者受領に出向いた中沢隊長は、四名渡されて面食らったと笑う。

 

【ち】血に飢えた巨怪南京虫

- 山の中腹の収容所は四米近い丸太の柵で囲まれていた。正面入口の上の赤い星の下に、消えかかった看板があった。
後で知ったが「囚人収容所」だという。
長く無人だったと見えて荒れ果てていた。
しめった土間はかび臭い。
夜になると巨大な南京虫が降って大襲撃だ。
古い柱や寝台板の割れ目、すきまが巣で猛反撃を加えても後続ゲリラは絶えなかった。
暇さえあれば木綿針で追跡した。それにしても無人の館でどう生きてきたのか。

チフスはしゃぎラーゲル地獄

おさだまりのチフスである。
不潔このうえなしの生活に、南京虫とシラミの巣となった人間は、バタバタと倒れてしまった。
医務室の軍医も衛生兵も総くずれ、という事態になり一ヵ月間の隔離、作業中止は有難いことだった。
一時休養となったものの、このチフスで多くの犠牲者が出てしまった。

【り】理論へりくつ日本新聞

- 昭和初頭の日本は不況のどん底で、東北女子売買が公然と行われた時代である。
救国は若きインテリの任務也と気負いたち、マルクス、エンゲルス、弁証法の熱発患者となり小脇に赤い表紙の本を抱えて歩き、警察にマークされるのを誇り、乙女には愛されると信じたお笑い人間・・・・
ここでも民主主義という名の下に、この種のおさむい人間がオルグとなりアクチーブとなった。
彼等は殺意なき同胞殺人者であることに気づかなかった。

利口な兵あり印肉は女の口紅
一番最初に覚えたロシア語はミニャーチではなかったろうか。
少しでも腹のたしには持ち物との交換しかない。
幸い貧しいこの国は鉛筆のカケラも重要なものであったようだ。
マダム連中もしたたかだが、兵もいろいろ工夫していたらしい。
印肉の朱も口紅に化けて人気商品だったと誇っていた。

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