◎浅草観世音道標この道標は京成江戸川駅近くの慈恩寺道にありました。現在は京成江戸川駅近くのお店(わかたけ)の店先に移築されています。慈恩寺道標と同年(一七七五年)の伊与田村に建てられた道標です。長年しもた屋の軒下に置かれていたので、道標の上部に十円玉くらいの雨だれの跡ができていると店の主人が教えてくれました。
右 右 舟者し迄 三里 いち加王道前 安永四年二り六丁 阿さくさせ於ん道 伊与田村中
左 左 にいしく道 い王徒き ぢ於んじ迄七り 右面は 右 船橋まで三里 市川道 前面は 安永四年(一七七五年)二里六丁 浅草観世音道 伊与田村(北小岩三丁目付近)中左面は 左 新宿(葛飾区・にいじゅく)道岩槻 慈恩寺まで七里と書かれています。
この道標で浅草寺と慈恩寺が結ばれています。
◎ 成田道道標
右 文久二年壬戌□月吉日 前 左 成田ミち 左 願主 中川平蔵 田辺茂助
店の前にはもう一基成田道、と記された道標が置かれてあります。千葉県の成田不動尊への参拝の道しるべとして小岩市川の渡し近くのこの界隈に 文久二年(一八六二年)に建てられていました。ちなみにこの道標の建立から二〇年後は 明治元年(一八六八年)です。明治維新近くの頃は成田不動尊への参拝も近郷近在の人々によって盛んにおこなわれていたことでしょう。
◎ 青面金剛立像 坂東道道標
前 青面金剛立像(レリーフ) 左 んどうみち左 享保八年(一七二三年)癸卯歳六月吉日
正真寺(しょうしんじ)小岩田村(北小岩七丁目)のんどうみち道標は、ここが坂東道であることを示しています。こんにちでは 忘れ去られていますが。慈恩寺みちはこの道のルート上にあります。関東地方一円に広がる観音霊場を巡るこの道は、鎌倉時代に源頼朝によって発願され、源実朝が西国三十三カ寺を模して札所を制定したと伝えられています。道標は庚申塔と巡礼供養塔の両面を兼ねていることと「これより左ばんどうみち」とひらがなで街道名が書かれていることが特徴です。
この記事へのコメントはありません。
この記事へのトラックバックはありません。
Δ
自閉症も色々 特徴を活かせば天才にも
歴史講演会を拝聴して 「埼玉の太田道灌を語る」
トップページに戻る
移動済み情報記事一覧へ
Copyright © WEB ら・みやび 岩槻 All rights reserved.
この記事へのコメントはありません。