「なぜ日本に玄奘三蔵法師の霊骨があるの?」
高森部隊長は、かねてからこの場が由緒あるお寺の跡地であることを聞いていましたので、きっと重要なものに違いないと直感して南京政府に報告し、多くの学者たちが葬誌を調べた結果、「大唐三蔵大偏覚法師玄奘ノ頂骨ヲ、長千寺ノ演化大師ガ長安カラ伝ヘ得テ、此処二葬ル…」と彫られていることから、これが玄奘三蔵法師の霊骨であると判断されたのでした。
発掘された埋葬品の全ては、直ちに高森部隊長から時の駐支大使を通して南京政府に返還されました。
このことに感激した政府は、さっそく建塔供養の運動にかかり、日本軍の援助も得て、南京郊外玄武山上の塔の完成を見て、昭和十九年十月十日に盛大な落慶式典を執り行なったのです。
南京の玄武山で執り行われた式典には、南京駐在の各国代表をはじめ、日本からも宇垣一成大将や竹内大東亜次官・日本仏教連合会の三学院住職・倉持秀峰仏教局長、日本仏教連合会顧問・水野梅暁師らが参列しました。
式典後、中国側において予め分骨しておいた玄奘三蔵法師の頂骨の一部が日本仏教界への分骨として倉持局長に贈呈されました。
こうして玄奘三蔵法師の霊骨の一部が海を渡って日本に安置されることになりました。
昭和十九年十月十三日、南京から帰国の途についた倉持秀峰局長は、南京政府から贈られた霊骨を護持し、高森分隊長の好意によって付けられた護衛兵一名(軍曹)とともに十月二十三日に東京に帰着しました。
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